内側を探ることで、「いまここ」を理解する
現実世界は自分の内面を映し出す鏡なのだから、現実を変えたければ内面を変える必要があります。 それで内観等を行ったりするわけですが、あまり突っ込んで内側とは何なのか?という事について考えていなかった気がしました。 自分の固定観念を探るのももちろん重要で、書き出して捨てる作業等で行ってきていますが、それも内面には違いなのだけど、観念的な内面ではなく、本当の内側ってもっと違うものなのではないのか?と思った訳です。 魂とのリンクを感じるというのはひとつの解ではあったのだけど、これまでやっていたのは、身体の内側にあ ...
鼓動が先で感情がそれに続く
一般的には感情の変化よって鼓動が高鳴ったりするという解釈をされている人が多いと思います。 でも、実は鼓動の変化が先でそれに応じた感情が生じるというのが事実ではないでしょうか。 心臓が主で脳が従という認識からだとそれが自然な印象です。 感情は結果にすぎません。 引き寄せは感情が行うわけでは無いという記事を以前書きましたが、それも関連しています。 鼓動の変化は魂から流れてくる愛エネルギーの増減に関わっています。 鼓動の変化も単に早いか遅いかだけの話では無く、心地よい感じの鼓動の高鳴りと深いな鼓動の高鳴り等様々 ...
魂とのリンクを腹部にしておいた方が良い理由について考察してみた
真っ先に思い浮かんだのは、熱量が増えるから頭部でリンクしていると、脳に負荷がかかるということ。 同じ理由で胸部も避けるべきだと思った。 腹部なら多少熱量が増えても大丈夫ですからね。 外界から取り込まれた気に創造エネルギーが加えられられれば上昇する気の流れが出来るから、脳や心臓にもちゃんと気が巡りますし。 上昇気流がテンションを上げることにも繋がりますしね。 頭部でリンクして全身に気を巡らそうとすると、本来上昇するはずの気の流れを無理に下降させないとダメになるという事。 それで気が頭に上りっぱなしになってし ...
魂が身体を通して創造するという解釈で良いのかも知れない。
身体を通して創造するという考えがエゴのなせる技だと思っていたけど、そうでもないのかも知れない。 考えてみれば、身体じたいは天地自然そのものですしね。 エゴは身体の極表面に存在する思念体ですから、エゴを通して創造すると考えるなら、それは肥大化したエゴの考えだけど、身体を通して創造するという理解であれば、それは自然な在り方なのかな?と。 身体=エゴでは無いということでしたね。 身体は神の聖なる器だった。 それを忘れてしまっていた。 観察者の意識って、魂の意識じゃなく、身体そのもの意識なんだろう。 生まれたばか ...
世界を感じ、内側に意識を向ける感じ
身体の役割が世界を感じて魂にその様子を伝える事だという事をちゃんと認識しないといけないなと思いました。 どうしてもエゴが勝ちすぎると、身体の内側から世界に創造エネルギーを開放して現実化していると思いたくなるのだけど、それを避けようという事です。 あくまでも身体は魂が世界を感じる為のセンサーであるということ。 創造は魂が行うのだけど、そこに身体は関わっていないということ。 状態をモニターしつづけているという意味では創造にも関わってはいますけど、あくまでもモニターであって、創造そのものには身体は関わっていませ ...
魂とのリンクは、身体の中央、へその上センチ辺りの様な氣がしてきました。
全身の生体電磁場という認識は何だったのか?(笑) 全身の生体電磁場で繋がる様な感じにしていたら、へその上3センチくらいの場所が、妙に疼くんですよね。 そこはチャクラでも無い、丹田でも無い、一般的に、霊的な何かがあると言われている場所では無い場所です。 ただし、バーバラ・ブレナン氏の著書癒しの光―自己ヒーリングへの旅〈下〉では、コアスターを感じる場所として解説されている場所ではあります。 概念的に、バーバラ・ブレナン氏がいうコアスターが、私の思う魂の概念と近いし、結局それは源(ソース)の概念でもあるよなぁと ...
魂とのリンクは、全身の生体電磁場という事に落ち着きそうな
一晩明けて目が覚めたら、こんな結論になっていた(笑) 昨日、何気なく追加で書いた雑感の最後の内容がその通りになってきた感じで。 結局、からだのどこかのパーツでリンクするという考えそのものが思い込みだし、それが制限になっていたのかも知れない。 というか、身体をパーツ分けして捉える事自体が分離の思想なのかもなぁとも思いました。 全ては一体であると自分でも書いているのに、この有様ですからね。 染みついた分離の思想は、それが分離の思想である事にすら気付けない程にナチュラルに物事を考える前提に入り込んでいるという事 ...
喉の頚神経叢、太陽神経叢と仙骨神経叢の間の腰神経叢も追加されそうな感じ
これで、7つになった。。 これじゃ、まんまチャクラじゃんっていうね。。。 というか、もしかしてチャクラが実は魂とのリンクの場所でもあったという事になるのか? 案外、その解釈で合ってたりしてね。 そもそも私の今の概念だと魂の中に世界があるという認識なので、世界の気が魂の気でもあるという面はあります。 ただし、時系列が異なる。 この現実世界の内なる次元に魂があるのだけど、その魂の中に現実世界があり、更にその内側に魂があって、魂の中に現実世界があるというループ。 身体の外側が過去の現実世界で、内なる次元の魂の中 ...
魂とのリンクは脳梁、脳幹、心臓神経叢、太陽神経叢、仙骨神経叢の5カ所かも知れないと考えが変化した。
この短期間に変化しすぎですけどね。 場所の設定を変える事にしました。 脳梁、脳幹、心臓神経叢、太陽神経叢、仙骨神経叢の5カ所でやってみることに。 腹部の太陽神経叢を追加し、心臓と仙骨が、それぞれの近くにある神経叢へ移動という感じです。 魂とのリンクは神経系のみに限定したと。 脳梁が出力で、脳幹、心臓神経叢、太陽神経叢、仙骨神経叢は入力という感じで。 身体を頭部、胸部、腹部の3区分じゃなく、頭部、胸部、腹部、腰部の4区分にしたのが大きいかも。 それは常々気にはなっていた事です。 心臓と仙骨の間が空きすぎてい ...
腹部のリンク先を仙骨に戻す事にしました。
やっぱ仙骨は外せないなと。 何故、臓器じゃ無きゃダメだと思ったのか、それが謎。 魂とのリンクが4カ所というのは変わらずで。 出力が脳梁、入力が、脳幹、心臓、仙骨の3カ所という事でテスト中。 脳幹で神経系へ入力、心臓で血管系に入力、仙骨で骨格に入力という感じで受け止めました。 それぞれの場所に入力されたエネルギーは、神経系、血管系、骨格を通して全身へ巡りますからね。 脳のみ、出力と入力の2カ所のリンクがあるという事で、脳以外を機械化されたサイボーグになっても、魂とのリンクで入出力は可能だという事にもなってま ...
魂とのリンクは4カ所かも?と思い始めた
唐突すぎるけど、不意にそう思いました。 身体視点でいうと、魂からの入力が、脳幹、心臓、小腸で、魂への出力が脳梁かも?という想いが湧いてきたのです。 単なる思いつきという話もありますけど。 これでリンクは臓器か骨かの問題はクリアになったかも知れない(笑) 体感としては、脳幹、心臓、小腸から魂のエネルギーが湧き出し、モニターとしての身体で感じた世界の情報は脳梁から魂へ送る感じ。 思考や感情の波動も脳梁から魂へ。 身体視点での現実化の為のイマジネーションやことばの出力も脳梁からという事で。 出力に関して言えば、 ...
魂とのリンク3カ所のうち、仙骨を小腸に変更した事で見えてきた、仙骨、胸骨、蝶形骨の役割
脳梁、心臓は今のところそのままで大丈夫なのだけど、仙骨を別の場所に変更した方が良さそうな気がしてきました。 それでどこが適当なのだろうと考えていて、順当で言えばへそかな?とも思ったけど、エネルギーが湧き出す場所でもあるのだから、小腸でリンクするのもアリではないか?という考えが出てきました。 感情を表す言葉で、腸(はらわた)絡みの表現もも多いですしね。 位置的には小腸は仙骨の前ですから、仙骨でリンクさせるのとさほど位置の変更はないのだけど、仙骨を意識するのと小腸を意識するのとでは結構違います。 頭部、胸部は ...