スピリチュアル

2019/6/11

認識している世界は過去で在るという事にとらわれ過ぎていたかも知れない

目の前に見えている世界は現在ではなく過去で在るというのは事実なんだけど、その事にとらわれ過ぎていたせいで、「いま」に意識を合わせる時に、世界を無意識に無視というか拒絶していた事に氣が付いた。 無意識でやっていたので、自分的にはちゃんと繋がっているつもりだったのだけど、今から思うと外界との間に壁を作ってしまっていた。 無意識の拒絶というのはそういう意味です。 元々全てと一体なのだから、余計な事をしなければ繋がっているのだけど、意識の壁を自分で作ってしまっていたために、遮断していたという事だと思われる。 やっ ...

2019/5/27

呼吸の修正

基本的な呼吸は、記事で紹介している呼吸法と変わってないですが、意識の持ち方が少し変化してきました。 何が変わったかですが、呼吸時に肺を意識する様にしました。 もっと言えば、肺の空氣の出入りを感じる様な感じです。 鼻から入ってきた空氣が肺に入り、肺の中の空氣を口から出すという、一連の空氣の流れを感じながら、呼吸をするという事です。 迂闊だったのは、呼吸法をやっていても、ほとんど肺を意識する事がなかった事に氣付いてなかった事。 お腹を膨らませたり、胸を拡げたりはしていたのに、肺そのものに意識が向いて居なかった ...

2019/5/11

背後と心臓

再び、背後を意識するようになってくると、はじめのうちは良いのだけど、背後を意識する基点が欲しくなっていて、どこだろうなと試行錯誤してました。 結局、心臓に落ち着いたという。 心臓を基点に背後を意識すると安心感も出やすくなる。 結局、古来から魂の座と言われることが多い心臓なんだなと。 ただ心臓を意識するだけだとまた詰まりが生じるのも事実で、あくまでも背後の基点として心臓を意識するのが重要になる。 基点を脳幹で試したりもしたけど、それだとオーラが上方にずれすぎて、足先の気が希薄になり、足に不具合が出てしまった ...

2019/4/14

結局、背後を意識する感覚が、今の感覚に最も近いのかも知れない

結局、そこまで戻るのか。。という感じですが。 最初に私が背後って言いだしたの、2003年頃だからなぁ。 その当時のブログはもう存在してないけど。 ただ、単純に背後を意識しているだけなのとは、若干ニュアンスは違います。 背後を意識することで、原子の隙間とかの感覚や、背後を意識しているのに全ての方向も感じますからね。 でも入り口としては背後を意識するのは、良い事です。 せっかくの背後の感覚をダメにしていたのが、究極の一点へのとらわれだったのでしょう。 背後と究極一点を組合わせようとして、背後の感覚が歪んでしま ...

2019/4/10

今朝、夢で聞こえた言葉「究極の一点なんて存在しない」

「究極の一点なんて存在しない」って言葉が、今朝、夢の中で聞こえてきた。 その言葉で目が覚めた。 私の最大のとらわれって、究極の一点というものがあるはずだという幻想だったのかも知れない。 そんなものは無いのだと、潜在意識から伝えられたのかも知れない。 存在しないものを探し求めていたから、ループし続けていたということか。 点として捉えようとする事自体、この三次元空間にとらわれ過ぎているという事でもあったという事なのだろうね。 それを踏まえて振り返れば、「いまここ」とか「無」「空」という古来より伝わる言葉がクロ ...

2019/4/1

鼻根は、へそより強力な場所かも知れない

  へそが最終的な答えだと想っていたけど、もっと強力な場所かも知れないところを思い出した。 それは顔の中央、目と目の間で鼻筋の窪んだところ。 鼻根と呼ばれる場所ですね。 眉間の下なので、いわゆるサードアイの場所ではありません。 サードアイは額とか眉間ですから、それよりは下です。 そこは13年ほど前に、私がセンターアイと勝手に呼んで「ここは凄い!」と言いまくっていた場所。 それを書いていたブログは数年以上前に解約しているので、もう記事は残ってない。 それからも何度かそこに注目していた事があったけど ...

2018/10/18

内面に感じる空間は胸にあると多数の書物にあったけど、へそだね。

へそで宇宙の根源に繋がっている感じになると、へそに広大な空間の拡がりを感じる様になってきた。 これまで、この空間は心臓辺りあるという内容のスピ系の書物を沢山読んできたのだけど、へそが正解だと思う。 へそのことなど、その手の書物で見たこと無かったし。 呼んだ書物の中で、へその感覚に近いのは、バーバーラ・ブレナンの提唱するコアスターの様な氣はするけど、それだと感覚が視覚寄り過ぎだし、コアスターの場所はへその上辺りになっているし。 今回、へそを意識していて、内なる虚空に辿り着くとは思ってもみなかったから驚いたけ ...

2019/4/1

身体の内部に湧き出させること。

へそを意識するだけで良いと言いつつ、気が付くと色々氣を操作しようとしている事に氣付く。 ただ、それで分かった事もある。 それは、へそを開放して根源のエネルギーが湧いてくるのだけど、身体の内側に湧き出す様にしておかないとダメだと言うこと。 へそを意識するだけに留めておけば、全部自動でやってくれるから、ミスは起きないはずなのだけど、どうしても色々やりたがる性分の人はそこは押さえて置いた方が良さそう。 私は、初め臍から、体外に開放する意識を持っていたので、氣がついたら身体の氣が枯渇しそうになっていた(笑) なぜ ...

2018/10/11

へそを意識するだけでいいっていうのが、簡単過ぎて信じられなかった。

へその重要性に辿り着きながら、ただへそ意識するだけでいいっていうのが信じられず、色々やっていた。 へそから氣を開放してみたり、吸ってみたりとか。 でもそうじゃなかった。 ただ意識すればいいだけだったと。 意識していれば、後は自動的にへそから氣は出入りするし、鼓動は高鳴るし、脳も脈打つ。 自然に宇宙を感じる事もできる。 宇宙を感じようとしている時点で感じてない。 単に自分のイマジネーションを創っているだけ。 イマジネーションを創るのも委ねてないと氣付いた。 へそを意識して、ただ世界を感じるだけでいい。 そう ...

2018/9/17

氣を感じている時点では、まだ自己の立ち位置はエゴの様だ

氣を感じているというのは、いまに意識を合わせている事だと氣付いたと、この前書いたけど、いまに意識を合わせているのも、まだエゴレベルなんだと氣付いた。 氣を感じているという感覚自体がエゴレベルという事ですね。 氣が自分そのものという立ち位置になって、初めてエゴを超えるみたいだ。 ああこれか。。って。 これまでも、不意にこの感覚が訪れることはあったけど、不意にくるから、再現が出来なかった。 ああでもないこうでもないってやって、背後を意識してみたり、原子の隙間を意識してみたり、いまを意識してみたり、本当に数え切 ...

2018/9/3

五感と氣の感覚を同列に捉えていた事に氣がついた。

あまりにも氣の感覚が当たり前すぎて、五感と氣の感覚を同列に扱っていた事に氣がついた。 五感というのは過去です。 どういう事かというと、視覚で言えば、見ている映像は対処に光が反射したものを観ているので、極々わざうかな瞬間ではあるけど、過去の映像であって、今この瞬間の姿を捉えることはできません。 残りの感覚も同様で、極々僅かな過去の状態を認識している訳です。 過去の感覚である五感と氣の感覚を同列に捉えていたということは、つまり氣の感覚も過去の感覚だと無意識のうちに判断していた訳です。 いまに意識を合わせていた ...

2018/8/15

感謝より祝福の方が素晴らしいかも知れないと思った。

結構、衝撃的な感じです。 20歳過ぎの頃から、ずっと感謝が最高と思ってたからね。。 疑いすらしていなかった。 なぜ、そう思うことになったかと言えば、感謝って、自分が何らかの利益を得た事に対して感じる利己的な氣持ちだよなと氣が付いたから。 神への感謝にしても、自分が生かされているという利益に対する氣持ちですもんね。 別に利己的な事が悪いとは思わないけど、なんか衝撃的だった。 祝福には利己的な要素が無い。 完全に利他的な氣持ちだし、それは神の視点からの氣持ちでもある様な氣もする。 神様の奇跡とは神の祝福なんじ ...