前提が変わると、それに基づいた意識の使い方も大きく変化するしかない


神に対する定義が変わってきたのと、それを超える何かがあるという感覚になってきて、これまでの意識の使い方が合わなくなってきてます。
特に、無と有の関係ですね。
これまで、それらを含む全てを神という認識でいたのだけど、それだと何かが違う感じがしてきました。
単に言葉の定義の問題なのでしょうが、一般的な神の概念って、やはり「有」に所属する感じがしていた事に気付いた訳です。

それで神にアクセスしようとすると、無意識に有に意識を合わせていた感じ。
その影響で、やれ第三脳室が~、いや、心臓だろとかいう風に行ったり来たりしていたのだろうと。

神は有の究極という定義にすることで、無を包括する何かというのがあり、それとリンクするのは第三脳室辺りじゃないか?と想うようになりました。
それにともない心臓は、創造力の開放点ではないか?と。
心臓の件はだいぶ以前の認識まで戻っていますね。
ただ、前提が変わっているので、同じではありません。

第三脳室で、有にアクセスしようとしていたので違和感があったのでしょう。
究極の何かは無も包括しているので、無を意識する為には、神という概念では無理だと想った次第です。
ですから、神という言葉のままで、有と無を包括できている概念を持っておられる人は、そのまま神という言葉でいけると想います。
あくまでも私の中の印象で神だと無にアクセスできなかったというだけの事。
神を再定義すればいいだけなのだろうけど、それやるより、別の言葉に置き換えた方が手っ取り早いかなと。

それに、多くの人も神の定義は、有に所属している前提の様な気がするから、それも踏まえると、違う言葉にした方が分かりやすいと想いますし。

それから、心臓から創造力が開放されるということは、見かけ上、まるで神と等しき力が心臓に宿っているように感じると思います。
だから、神の座が心臓であるという感覚も、たぶん当たらずとも遠からずという感じなのでしょう。

なにせ、無は感じることできませんからね。
神を神たらしめている何かが無であり、そのアクセスは第三脳室って気がしています、今は。

それと、この場合の神は、個別化した神であり、それは魂と同義かも知れません。
そういう意味では、大いなる神を無と定義しても良さそうな気もするけど、やはりどこか有に属している感覚が拭いきれないので、別の言葉にしようと思ったのです。

それと、今年の2月から、超意識と潜在意識は別のものだというホ・オポノポノの認識を採用してましたけど、それも一旦リセットする事にしました。
すべて一旦まっさらにして、再構築していかないと、結局、また歪みがでそうですからね。

いま感じているのは、究極の何かとの繋がりは第三脳室で、創造力の開放は心臓からという事が主になります。
神だのなんだのっていう言葉にとらわれ過ぎているきらいはあるのは自覚しています。
もっと適当で良いのになぁとも思います。

話は変わりますが、昨日から感覚的に感じているのは、この現実世界の方が夢なのではないか?という事です。
朝、目が覚めて活動を始める訳ですが、実は、それが夢の始まりで、夜、就寝する時が夢の終わりなのではないか?と、不意に思った訳です。
つまり、この現実世界そのものが夢であるという事。
私達の真の状態は、肉体レベルの自分が眠っていると思っている状態なのではなかろうか。
バシャールの言葉で「夢が現実で、現実が夢」っていうのがありましたが、その意味がやっと理解出来てきた気がする。

この現実世界が夢であるなら、正に私達1人1人が創造主でもある訳ですよね。
夢の世界って、自分の中で起きている事ですから、その舞台である宇宙や地球、そこに登場する全ての存在は、自分で創造している訳です。

起きている時に、現実世界が起きているという事。
目覚めているという意味の起きているという漢字が、色んな出来事が生じるという意味の起きると同じなのは興味深いですな。

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