魂とのリンクは「いまここ」であるという事らしい

2016年11月23日

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身体のどこかではないという事ですね。
非常に抽象的ですが、古来から「いまここ」という表現はよく使われていました。

「いまここ」というのは、この物理的現実の特定の場所ではありません。
でもこぼ物理的現実視点からすれば、すべての場所でもあるので、魂とのリンクを探る過程では、身体の特定の場所と紐付けておくのも、方便としてはアリだという事なのでしょう。
「いまここ」の認識が変化すると、身体の特定の場所から魂を感じるというのは違うと認識される様です。
「いまここ」という表現は、言い得て妙だなぁと感心しているところです。

「いまここ」なんだけど、それは「どこでもない」んですよね。
「いま」だからね。

これまでは、「いまここ」を特定の場所と結びつけようとしてたのだという事も分かりました。
その考え方を疑う余地もなかった。
それが前提で探求していたからなぁ。
物事を考える前提であったので、その前提が間違っているかも知れないという可能性にすら気付けなかった。
いかに、この3次元空間+時間で構成されている物理的現実にどっぷり浸かっていたかという事。
霊的次元の話とかしているくせに、考えることの前提が、この物理的現実世界が確たる現実でありこの世界が基準であるという考え方をしていましたからね。
多分ね、「内なる次元」とか、「高次元」とかいう言葉で理解しようとするのも、前提がこの物理的現実を基準にしているんだよね。
今回、それに気付いたっていう事ね。

思い込みの怖いところはそういうところですね。
それが思い込みである事にすら気付けないから、思い込みなんだという事。

この現実世界は、思い込みによって作り出された幻影である可能性について、概念としては知っていたけど、それが本当である事を認識する事に抵抗していたという事でもあります。
今回、「いま」に対する認識が変化したので、なるほどなと納得出来た感じですね。

とは言え、他者に説明する時は、「内なる次元」とか「高次元」という言葉を使わないと多分無理だろうから、オフィシャルな記事では相変わらず使い続けると思いますが、それはそれとして受け止めて頂ければ。
同じブログ内のオフィシャル記事と雑感記事で、結構、言葉の表現に差が出てくると思いますが、そういう理由ですので、よろしくお願いします。
雑感は意味不明なことが多いでしょうし、書いている事がころころ変わる事も多いですが、核心に近い内容が先に出るのはこちらでしょうね。
時間を置いてオフィシャルな記事にも整理して書く事はあるでしょうけど、「頭」で整理した時点で、最初に書きだしたた時の本来の波動は消えるしね。
雑感の構成は読みにくいとは思いますけど、湧き出してきた想いをそのまま書きだしているから、こっちの方が本来の私の波動を表現していると思います。

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