「自分の与えたもの」には、思い込みや感情も含まれる
「自分の与えたものが自分に返ってくる」という法則は、すべての現実化の法則の根幹を成すものです。
すべての現実化の法則を突き詰めて行けば、「自分の与えたものが自分に返ってくる」という事にいきつきます。
因果応報もこの法則のバリエーションのひとつではありますが、もっと広い意味合いもあります。
良いことも悪いことも含めたものであり、言動に限定されているものでもありません。
自分がどんな思い込みを抱いているか、また、それに基づく言動や感情によって、現実が引き寄せられてくるということです。
多くの場合、両極端ということはないので、好ましい現実と嫌な現実が混ざった体験を引き寄せています。
どちらが多いかによって、好ましい現実が多いのか嫌な現実が多いのかが変わってきます。
いつも不平不満を抱えていると、不平不満を感じる出来事を更に引き寄せる
例えば、いつも不平不満を抱えていると、無意識で棘のある言動をしてしまいがちになります。
自分の言動で氣付かずに他者を不愉快にさせてしまっている事があるのです。
それだけではなく、氣の波動も刺々しい氣配になっているので、傍に居るだけで相手を苛つかせてしまうこともあります。
相手は氣の感覚が分からなくても、無意識レベルで身体が刺々しい氣配の干渉を受けていることを把握しているので、攻撃的な態度を返してくることもあります。
氣の観点でいうと、不平不満を抱えているだけでも、迷惑行為であると言えるのです。
刺々しい氣配によって相手の氣を傷つけてますから、自分の与えたものが自分に返ってくるので、嫌な現実を体験することになります。
思い込み通りの現実を引き寄せている
「自分の与えたものが自分に返ってくる」ということの、別の側面は、自分の思い込み通りの現実を引き寄せているということです。
世の中なんてこんなもんって思っているなら、こんなもんな現実を引き寄せますし、世の中捨てたもんじゃ無いって思っているなら、捨てたもんじゃない現実を引き寄せる訳です。
どんな思い込みを持っているかによって、状況に対する感情も変わってきますし、言動も変わります。
他者は自分の心を映し出す鏡
例えば、イライラが溜まっていたり、不安や恐れが強いと、犯罪者やその予備軍の人達と関わる可能性も高くなり、結果的に、事故や事件に巻き込まれやすくなったりします。
そういう意味では、他者は自分の心を映し出す鏡でもあります。
それは、日常で関わってくる他者(通りすがりの人も含む)がそのまま自分と同じという事でもありませんが、少なくともそういう人達を引き寄せる何かが自分にあるということです。
怒りや不安の解放が進めば、氣の波動が柔和になり、普段の思考が変化するので、そういう人達と関わることが驚くほど少なくなってきます。
そこに至って、全ては自分が引き寄せていたのだと理解出来ます。
これは自分が悪いからその現実を引き寄せたという意味ではありません。
地面に砂糖を撒いたらアリが寄って来るのと似た様なものであって、アリを寄せたくなければ砂糖を片付ければ良いだけの話です。
自分の在り方を変える
状況を変えたければ、自分の在り方を変えれば良いだけということですね。
ですから、好ましい現実を引き寄せたければ、愛に溢れた陽氣で明るい在り方になれる様に自分を変えていく必要があります。
自分の与えたものが自分に返ってきますから、自分の幸せな在り方に応じた好ましい現実が引き寄せられてきます。