あまりにも氣の感覚が当たり前すぎて、五感と氣の感覚を同列に扱っていた事に氣がついた。
五感というのは過去です。
どういう事かというと、視覚で言えば、見ている映像は対処に光が反射したものを観ているので、極々わざうかな瞬間ではあるけど、過去の映像であって、今この瞬間の姿を捉えることはできません。
残りの感覚も同様で、極々僅かな過去の状態を認識している訳です。
過去の感覚である五感と氣の感覚を同列に捉えていたということは、つまり氣の感覚も過去の感覚だと無意識のうちに判断していた訳です。
いまに意識を合わせていたので、過去の感覚だと思い込んでいた氣の感覚からも意識を反らせていたんですよね。
これは大きなミスでした。
ヒーリング時に感じる以外は氣の感覚を無視していた様なところがあって、それは天地自然の氣をシャットダウンすることにも繋がっていた。
いまこことか意識してなかった頃は、ちゃんと天地と繋がっていたのにね。
内側から湧いてくる氣はギリギリ維持していたので、なんとか身体は保っていたけど、外界の氣を弾いていたのは身体の負荷が半端なかった様です。
外界と繋がって、その状態で源と繋がれば、湧き出してくる氣も桁違いなんだけど、無意識で外界をシャットダウンしていたから、それも分からなくなっていたという。
五感は過去であるという言葉にとらわれ過ぎていて、その解釈を間違っていた為に、高負荷状態が続いていたという事。
氣の感覚は、いまの感覚だったと氣付く事で、天地の氣が怒濤の様に流れ込んできた。
どれだけ自分でせき止めていたんだよと。。
せき止めるにも力が必要だった訳ですからね。
氣がいまというのは、様々な現象は、先に氣に変化が起きて、それに続いて現実が変化するという事からも言えると思われます。
病氣もまず氣の異常が起きて、しばらくしてから肉体に異常が起きてくるので、氣の異常の段階で癒してしまえば、肉体の病気になる前に癒せますし。
そういうこと施術の案内にも書いているくせに、氣の感覚が自分にとってあまりにも当たり前であるが為に五感と一緒だと無意識で思い込んでいた訳です。
氣の感覚は皮膚感覚の拡大という理解を以前していたことも影響しているかも知れない。
氣を感じる為の方便として、今でもその様に説明する事は多いですけど、実際は皮膚感覚とは違いますからね。
感覚を言葉で表現する時、皮膚感覚と同じ様な言葉で表現するので、錯覚しやすいのかも知れない。
知識として分かっているのに、無意識で思い込んでいるというのは、なかなか厄介でしたね。