背後に関して、いくつか氣がついた事がある。
五感は過去だが、氣の感覚は「いま」だということ。
「いま」は創造そのもので、この瞬間に創造が行われているが、それを認識することはできない。
認識した瞬間にそれは過去だからというのは、これまでにも書いた通りで変わらない。
氣の波動は創造そのものなので、「いま」だったんだなと理解できた。
創造は「いま」であり、それは有であるという事が、いまいち理解できていなかった。
過去も有だが、「いま」も有であるということ。
なぜか、私は「いま」を無だと解釈してしまっていた。
これは間違っていたと氣付いた。
背後は「いま」ではあるが、無ではないという事。
背後を「いま」で無だと解釈してたのが間違っていた。
では背後に何を感じているのか?といえば、何らかの高位霊的器官の様なものになる。
真我的な何か。
それは神に連なる何かなのかも知れない。
これは魂といえるのかも知れないが、いわゆる転生したりする魂的なものとは違う。
あれは感情思考形態であり、残留思念体のことだからね。
どちらかといえば個別化した神という表現が一番近いと思う。
スピリチュアル的にいえば、ハイヤーセルフとかがしっくりくるのかも?
それが、体感的には背後に在るという感じね。
身体の内側じゃ無いところが重要かも。
で、氣の感覚は個別化した神の感覚ではなかろうかと。
神は有における最高位の存在というか、有を全てひっくるめた全体の意識でもある。
だから、無ではない。
でも、無から生じているので、無と関係ないわけでは無い。
色即是空、空即是色なのだしね。
あとは、思考や感情は過去なのか「いま」なのか?というのがある。
イマジネーションとかも含めて。
感情は「いま」だろうと思っている。
思考やイマジネーションは、どっちなんだろう。
条件反射的思考は過去なのだろうが、創造的な思考は「いま」の様な氣もするね。
脳で考えた思考は過去。
直感や閃き方面よりの思考は「いま」とかかも知れない。
背後にある高位のエネルギー的な何かが、現実世界と直接的に繋がっているらしいことはわかった。
だから、思考やイマジネーションは背後で想像すると良いかもね。
どちらにしても、現実世界はバックパックみたいな感じで繋がっていると。
天使の羽根とか、千手観音の千手とか、あんな感じかも知れないけど。
個人的には羽根より千手が好き。
後光を背負っている感じでもあるのかな。
氣とかイマジネーションがつかるなら、背後から光の触手的なものを伸ばして干渉したりもできると思う。
氣配も背後の器官をつかって感じる感じにすると身体の負担も少ない。
氣を使えなくいても、目の前の物体に筋力で干渉する場合に意識的には背後経由で焦点を合わせると干渉しやすいかも知れない。
直線的に目の前に意識を向ける良りは遙かにいいと思われる。
背中からナノマシン放って干渉するイメージとか面白いかも知れないね。
背中の霊的器官はイマジネーション次第で大きくもできるし色んな形に変えられるので、試してみると面白いよ。