八芒星のパワーに氣付いた
少し前まで、八芒星というものを知らなかったんですよね。 こういう仕事しているのに知らなかったって自分でもあり得ないと思うけど(笑) それが先日、不意に八芒星の存在に気が付いて、何この気配!ってなった。 古代から使われてきたシンボルのひとつなのに、何故、今まで知らなかったのかも凄く不思議ではある。 でもまあ、気付いた時がその時なんだろう。 8より沢山の数の芒星もあることを知ったけど、八芒星が様々な観点から最も良い感じだと思っている今日この頃。 因みに八芒星は2種類あって、もっと尖ったタイプのヤツがあるのだけ ...
委ねる感覚を持つ為には、背後を意識する事が不可欠なのかも知れない
ずっと前に書いていたのに、最近は背後は空間認識の修正に使っていただけだった。 でも背後はそれだけじゃないんだなと、また思い始めた。 これもループしてますけどね。 本気で委ねる為には安心感が無いと難しいけど、背後を意識すると感心感が出やすいんだよね。 「いま」に在る事が出来ると安心感が出るらしいけど、それってつまり、そういうことなのかな?と。 背後イコール「いま」という事ではないのだけど、背後を意識することで、「いま」に意識を合わせやすいというのはあるかも知れない。 そして安心感があることで、安心感を感じる ...
身体の中央を空けることで、神に身体を明け渡す感じ
もの凄い久しぶりの雑感です。 神は全てなので、身体の中央だけが神という事ではないのだけど、体感的に身体の中央を空ける事で、神に身体を明け渡す感じが出て、それが委ねるという事にも繋がるのだなと感じました。 それで身体の中央を空ける為にはどんな意識の使い方が良いのか?という事になりますが、現時点では、左右の扁桃体に意識を合わせておくのが良さそうな氣がしています。 身体の中央には霊的に重要な中枢がある訳ですが、そこを意識している限り中央が空かないと氣付いた訳です。 チャクラを意識してみたり、心臓や脳幹、仙骨、へ ...
あまり宇宙を意識しなくなっていた事に氣が付いた
いまここを意識しはじめて、宇宙をあまり意識しなくなっていた事に氣が付きました。 それはダメだろうって感じですよね。。 すごく自分の範囲が狭くなっていたという。 宇宙を意識したら、一氣に拡がりが増しました。 宇宙を意識してこその「いまここ」なのになぁ。 なんというか、何か新しい事をやりだすと、他が疎かになる傾向があるのがなぁ。 宇宙と「いまここ」を同時に認識する感覚っていうのが希薄だったのだろうな。 というか、それが結びついてなかったから、「いまここ」を意識し出したら宇宙を意識出来なくなってしまったのだろう ...
上手くいっていたのに、より良くしようとして、かえって調子を落としていた事に氣付く
これは割とありがちですよね。 うまく流れ始めるところまでは真我によって到達していたのに、より良くしようっていう欲が出てきた途端にエゴに戻ってしまっているのだなと思った。 より良くしようという一見、向上心にみえる考え方がエゴだったとはね。。 でもよく考えててみれば、より良くしようとしている時点で委ねてないんだよな。 それが盲点だったわ。 本当に巧みなエゴの罠ですね。 私の話で言えば、今から思えば、背後を意識するところまでは本当にエゴも最小限になっていて、謙虚で上手く流れていたのに、そこから欲が出て、よりよく ...
もの凄い制限を自分でかけていた
前提が変化して様々なこれまでの思い込みが落ちていっているのですが、それでも残っていたものも落ちてきている。 第三脳室へのこだわり、心臓へのこだわりです。 それもエゴの抵抗だったという事らしい。 もう特定の身体の部位にこだわるのはやめなさいって事なのでしょうね。 全てが自分であり、感じているものは過去だけど、その背後にあるのが、無という事なのかも知れない。 体感的にそれは、身体の外と内を貫いているから、第三脳室だけで無にアクセルするという認識事態がナンセンスだったと。 認識している現実世界の全ての背後が無な ...
いまに生きる事を意識するなら、目標も邪魔になる
目標を持ちそれに向かうことが良しとされている現代社会では、目標が邪魔とか書くと、めっちゃ反感買いそうですが。 でも、いまに生きる事を選択するなら、目標そのものが「いま」から目をそらす悪手であると理解出来ると思います。 目標を持ち続けるという事が、「いま」から目をそらし続ける事と同義なんですよねぇ。。 最高の現実は、今に在ることで具現化されるので、目標を持つという事は最高の現実を妨げるという事でもある訳です。 目標もエゴの産物という訳ですね。 目標を捨て、良い気分で、すべてを委ねる事が大切なのでしょうね。 ...
前提が変わると、それに基づいた意識の使い方も大きく変化するしかない
神に対する定義が変わってきたのと、それを超える何かがあるという感覚になってきて、これまでの意識の使い方が合わなくなってきてます。 特に、無と有の関係ですね。 これまで、それらを含む全てを神という認識でいたのだけど、それだと何かが違う感じがしてきました。 単に言葉の定義の問題なのでしょうが、一般的な神の概念って、やはり「有」に所属する感じがしていた事に気付いた訳です。 それで神にアクセスしようとすると、無意識に有に意識を合わせていた感じ。 その影響で、やれ第三脳室が~、いや、心臓だろとかいう風に行ったり来た ...
神を超えた概念
今まで神が究極の何かだと何となく思ってたけど、神は「有」に於ける最高の存在という事であって、究極の何かは神ではないのかなと思うようになった。 究極の何かは何かですらないのだろう。 それを「無」というのだろうが、それも便宜的なもの。 神に関して言えば、究極の何かの「有」の側面を神と呼んでいるのかも知れないとは思う。 全知全能としても、それは「有」に属してますからね。 道教では、有と無を含んだ、何かを道(タオ)と呼んでますね。 タオが神より遙かに大きな概念だと、今更気付きましたよ。 色即是空の空と無、色と有は ...
覚え書き的な
心臓のエネルギーフィールドが神とのリンクする場所、つまり、ホオポノポノでいうところの超意識で、脳幹が地球の世界の集合意識へのリンク、つまり、ホオポノポノでいうところの潜在意識なのかな?と思ったり。 ホオポノポノで学んだ事での最も大きな事のひとつは、潜在意識と超意識は別の存在だということでした。 ふだん、それらを一緒くたにしていたから混乱していたのだというのは、2月当時に書いた気がします。 神 ゼロポイント、すべての時空の大元、 超意識 ハイヤーセルフ 心臓 個人レベルの顕在意識・無意識 大脳(意識) ...
神の座は心臓のエネルギーフィールドだと思った。
第四脳室はどこへいった?ってかんじですが。 脳にとらわれ過ぎていた氣がします。 やっぱ心臓だよなぁって思い直しました。 厳密に言えば、心臓磁場とかそんな感じなのだろうと。 だから、あくまでも生きている心臓がゲートになるということ。 これまでも心臓だよなぁって思っても、他の場所かも知れないと思ってしまったのは、臓器としての心臓を意識しすぎだった様な氣もします。 そうではなく、心臓の作り出すエネルギーフィールドがゲートだという認識にした方が良さそう。 油断すると、心臓そのものを意識してしまうのだけどね。 因み ...
斎王まつり前夜祭
今日は、斎宮歴史博物館の広場で、斎王まつり前夜祭が開催されていたので行ってきました。 お目当ては、特別公演である、長岡成貢さんのプロジェクトのコンサートです。 一昨年、斎宮復元建物竣工記念コンサート 長岡成貢 「祈りを捧げた皇女たちの物語~二〇一五」を観て素晴らしかったので、今回も観に行きました。 元Rin'の箏奏者・吉永真奈さんがサポートメンバーに入っていたので、それがきっかけで観に行ったのですが、他の出演者の方々も素晴らしくて、本当に素晴らしいステージだったのです。 今回も主要メンバーは一昨年と同じで ...