現実の創造の責任をどこまで自分に認めるか
自分の体験している現実は自分が引き寄せているという意味において全て自分の責任だというところまでは受け入れられる人は多いと思います。 でも、全世界で起こっている全ての出来事も自分の責任だと受け入れられる人は少ないですよね。 というか、そこまでの責任について考えた事も無かった。 現実を創造しているという表現で想定していたのは、あくまでも自分が体験している現実だけだった。 でも、ここにきて、世界で起きている全ての出来事の責任が自分にあるという認識を持つ事に取り組もうかなと思い始めました。 そこまで認めて初めて現 ...
心臓の虚空から溢れ出す氣
エゴ視点でみると、心臓の位置から、凄いエネルギーが湧き出している感じになっています。 魂視点で言えば、そのエネルギーを出しているのは自分なんですけどね。 念のため補足しておきますが、心臓の位置って身体の中央ですからね。 左胸じゃないですよ。 形が左下方寄りに偏っていて、拍動が一番強い場所が左下端だから、鼓動をやや左側に感じるので、心臓を左胸にあると勘違いしている人が本当に多いです。 確かに左胸の方が占有している体積は大きいですよ。 肺だってそれにあわれて、右肺は三葉で左肺は二葉ですしね。 でも左に偏ってい ...
神の座が心臓、地球とのリンクが仙骨、現実世界の中心が脳という解釈
心臓の解釈はそのままですが、仙骨と脳の役割について、そういうことか!という感じになったので書きます。 地球の波動とのリンクが仙骨で、体験している世界の中心が脳という解釈に落ち着きそうです。 今朝、現実世界はエゴそものもっていう概念が湧いてきました。 これは、特に新しい概念でもなく、現実世界は心の投影というのと同じ事だと思ったのだけど、心の投影とは若干ニュアンスが違う感じもしました。 心だと心臓って感じだから、それは魂や神の座からの投影って認識になるけど、そうじゃないと。 エゴそのものだから、脳が現実世界の ...
太陽が魂なのかも知れない
心臓の虚空に感じる眩い光が真の自己だと感じたのは書きました。 その状態でいたのですが、不意にこれって太陽そのものなんじゃないか?って概念がきました。 魂って太陽ってことか!となんか妙に納得したというかね。 文字通りこの太陽系の太陽。 現実世界における魂の投影が太陽として見えているという事ですけどね。 でも太陽が魂である事には違いは無いという。 心臓の虚空に太陽があって、それが真の自己の意識だと感じたという事。 現状の地球人の世界は地球の表面に限定されているけど、それってつまり魂は現実世界より遙かに巨大だと ...
昨日感じたまばゆく輝く光が自分だと分かった
昨日の体感はあくまでもエゴ視点の体験だったと気付きました。 今日も眩い光を感じていたら、不意に視点が入れ替わった。 自分が輝きそのものだったと分かった。 その自分がエゴを使って現実世界を体験しているんだね。 それは言葉としては以前から知っていたけど、分かって無かった。 時々、この立ち位置を感じる事はあったけど、エゴ視点からは完全には変わっていなかったのだなぁと。 そりゃ、この場所がどこにあるかも分かって無かったんだし、しゃあない(笑) いまここの本当の意味はこれだろうな。 そこの至れたのは、気のコントロー ...
目標設定すらエゴなんだろうなぁというのを納得出来た感じ。そして氣のコントロールも捨て去る事にした。
神は全知全能なんだから、自分にとって何が良いのかもすべて分かっている。 という事は、非常に限られた存在であるエゴのレベルで目標設定したって、それが上手くいったとしても幸せになれるとは限らない。 というか、エゴの立てた目標が叶ったせいで不幸になっている人の方が多いのかも知れない。 これまでもその考えは知っていたけど、エゴが凄い反発していたんだよね。 目標を持ち達成するからこその素晴らしい人生だろ!みたいなね。 でも、それってもろエゴの主張だよなぁ。 目標も含めて丸投げするのが、本当の委ねるという事なんだろう ...
心臓辺りがまばゆく輝いているような感じがする
心臓そのものが輝いているのではなく、心の中の虚空の中心にある魂的な何かがまばゆく輝いている感じ。 しかもとても暖かいです。 室温7度なんだけど、身体がポカポカしてる(笑) この体感は初めてですね。 輝きだけなら錯覚の可能性もあるけど、身体が暖かいから、錯覚ではないと思います。 外界から取り込んだ気を出すのとは質と強さが段違いです。 外界の気を取り込むことで身体を温めることも可能だけど、そういうコントロールをしないでも、自然に内側から湧き出してくるのが凄いと思う。 エゴをどけることで、気付いただけなんですよ ...
認識している世界は脳内の映像だけど、心の中の世界は「いまここ」の創造中の世界
認識している世界と、心の中の世界は微妙に違うものだと理解した。 認識している世界は脳内の映像で過去なんだけど、心の中の世界というのは、「いまここ」であり創造中の世界だと言うことらしい。 だから、時系列が違うということ。 私はこれをごっちゃにしていた。 それで脳幹を中心にしたりしてしまったという事の様です。 心の中の世界は、世界っていうより宇宙の根源エネルギーそのものか。 それは愛であり神でもある。 こういう場合は源(ソース)という言葉の方が理解しやすい様な気はするけどね。 愛、神、源(ソース)、表現が違う ...
世界は心の中にある
現実世界は心の投影という表現は様々な場面で耳にしたり目にしたりしますよね。 心の投影なのだから、誰かのせいにはできないという事でもあります。 すべては自分の内面を映し出しているに過ぎないという事。 ただ投影という表現によって、自分の身体のどこかにある心から外の世界に投射しているようなイメージを持たれる人も多いかも知れません。 私もその1人でした。 それだと、心と現実がリンクしていることは表現できるのだけど、心と現実世界は別のものの様な認識になりますよね。 でも、どうやらそうではない様な気がして来ました。 ...
考えるのを止めたら、心臓に変化が起きた
すべての基点は心臓だったなぁと思い出した感じ。 なんで忘れてしまっていたのだろう。。 神の座とか魂の座的なものは心臓っていうのは、自然な感覚なのにね。 思い出させないようにエゴが頑張っていたっていうのはあると思いますけれども。 なぜ、ここまで脳や仙骨にとらわれる様になっていたのか。 いや、脳と仙骨も大事なんだけどさ。 知識を増やし過ぎて、それに振り回されていたのだろうか。 知識では真理に到達できないって気付いてからは、あまり知識は取り入れない様には気を付けていたけど、それ以前にその類の書籍等を読みあさって ...
松果体、仙骨、心臓の連携について、何となく思い浮かんだ。
仙骨は地球の波動の受信器という解釈が自然な気がしてきました。 これは前に書いていたことあるのに、なぜかボツにしてしまった経緯がある。 肉体を良い状態に保つにはやはり仙骨の状態を把握している事は必要だと思いました。 大地の気が健康という認識とも一致するかなと。 松果体は宇宙とか神とか魂とか、その類の高次波動との共鳴ポイントという感じ。 それは天の気でもある。 社会的に上手くいくかどうかというのは、天の気であるという認識とも一致。 心臓は、脳幹の波動を増幅して発信する装置の様な気がしてきました。 現実は波動の ...
松果体で安定してきた
まあしかし、何度も行ったり来たりを繰り返したものだと、自分でも笑ってしまう。 11月の時点で松果体って気付いた筈なのに、いや違うかも?とか言いながら、他の場所に移り、それでも「いまここ」を意識すると、毎度頭の中心がうずくからやっぱりそこだ!と言いながら、範囲が脳幹とか第三脳室とか微妙に拡がっていっていた(笑) そしてまた違うかもと仙骨に戻って、でもやっぱり「いまここ」を意識すると頭の中心がーってなって、やっぱり松果体やんけ!ってなった。 松果体の役割の解釈は微妙に変化してるけど、基本的には神の座に類する扱 ...