「いまここ」と第三脳室
また、第三脳室がクローズアップされてきました。 特定の部位に意識を向けるのはやめようと思ったのだけど、どうしても第三脳室だけは出てきますね。 ふと思ったのは、「いまここ」と源(ソース)を同じものとして捉えていたのは間違いだったなという事。 「いまここ」を意識することで、源(ソース)を認識できたのは確かなんだけど、だからって「いまここ」が源(ソース)という事ではないのかな?と。 源(ソース)はい「いまここ」でもあるのだけどね。 でもイコールじゃないというか。 言葉にすると意味分からんけどさ。 肉体レベルで「 ...
車の氣の調整に引き続き、物の氣の調整を開始しました
パワーストーンの浄化というのは、割と頼まれる事があります。 それでもこれまで正式なメニューにはしておりませんでした。 理由としては、写真のやり取りが手間取りそうだと思っていたからです。 でも今の時代、スマホで撮影して添付ファイルで送ってもらえばそれで解決だった事に今更気づいた(笑) というか、ちょっと前のスマホでも写真の画像っていまひとつだったから、デジカメの撮影してもらって添付しか無理だよなぁとか思ってたんだけど、最近のスマホの写真ならいけるよなぁと思ったからです。 以前でも高機能な機種だと写真は綺麗で ...
宇宙に身体を委ねるのではなく、宇宙と一体で有る身体に委ねるという感じ
現実の流れに委ねる時、無意識で身体を宇宙に委ねる様な感じでやっていた事に気づきました。 これって、無意識レベルでは、エゴは身体だと思っているって事だよなぁと思った訳です。 何度も書いてますが、身体は天地自然そのものであり、エゴは身体の極表面に形成された感情思考パターンのプログラムに過ぎないと理解しているはずなのに、委ねる時の感覚は身体を宇宙に委ねていたという事。 それは現実の流れに身を委ねるという認識でした。 でも、身体も天地自然、即ち宇宙そのものなのなら、身体を委ねるというのはおかしいという事。 それっ ...
鼓動がどうこうやりだすとまたエゴが出てくるかもと思ったけど、身体は天地自然そのものだからそうはならないみたい
身体は天地自然そのものだという事は何度も書いてます。 これに関しては、以前から確信している事なので変わりありません。 エゴ=身体って考える人は多いかも知れませんが、そうではありませんからね。 エゴは身体の極表面に形成された感情思考形態と表現される感情と思考のエネルギーの塊にすぎません。 エゴと呼べるのは思考や感情、行動、持ち物等であって、身体自体は天地自然そのものです。 身体の表面にメスを入れて切り開いて中を覗けばそれは理解できる事ですよね。 内臓は勝手に動いています。 エゴが動かしている訳じゃ無い。 自 ...
源(ソース)にどっぷり浸かっている認識になる事で、波動の発信器としての心臓の役割が見えてきた
好ましい現実化が起きている時に鼓動が高鳴っていた事実は、認識が変化した今も有効なはずだという事で、どういう事なんだろう?と問いかけていたら、不意にイメージがきました。 それは、源(ソース)に波動を発生させる装置様な認識になれば、心臓の負担も最小限で強い波動を発することができるというものでした。 例えはちょっと変かも知れないけど、扇風機みたいな感じというか。 源(ソース)に風を起こす様なね。 実際は、風のような流れを起こすというより、振動を起こす感じだけど。 それだと見かけ上、心臓から湧き出す様な印象になり ...
宇宙全体が源(ソース)だと氣づいてみると、これまでもの凄い制限をかけていた事が分かる
これまでって、精々身体の体積程度の範囲で源(ソース)と繋がっていて、そこからエネルギーが湧き出していたイメージだった。 それが果てしなく広大な源(ソース)の海にどっぷり浸かっているイメージに変化した訳です。 それを考えるとこれまでの制限の酷さが良く分かる。 そんな状態でも、宇宙と直結した!内側からエネルギーが溢れ出してきて凄い!とか喜んでいたんだよなぁ。。 じゃあ、身体全体ですら無く、特定の部位に限定していた時や、源(ソース)という概念すら知らなかった時って、どんだけカスだったんだろうかと。 案外、源(ソ ...
現実世界も源(ソース)そのものであると言うことは、外側も源(ソース)であるという事
身体も含めた現実世界が源(ソース)に生じている波動であるという事は、現実世界も源(ソース)そのものであるという事。 それを現実世界は源(ソース)から湧き出しているよな感じの認識で感じているという事は少し前に書きました。 これは身体の外側に感じている現実世界も源(ソース)そのものであるという事でもあります。 気づいてみれば当たり前の事なんだけど、これまでの癖で源(ソース)は内側の次元で繋がるという様な認識が強すぎて外界も源(ソース)であるという体感が希薄だった事に気が付きました。 波動の媒介が源(ソース)で ...
私が感じていた全てとの一体感に、他者や社会が入ってなかった事に氣が付いて愕然とした。
自分が源(ソース)そのものであるという体感は得たけど、自分の認識によって源(ソース)との繋がりのレベルは制限されている感じ。 ちょっと前の天地との繋がりの話もそうだけど。 天地の時は、繋がろうとすることで制限かけていた感じで、元から繋がっていたと気づいたら一気に高まったのだけど、今回の対象は若干ニュアンスが異なる様な気もする。 今回、気づいた対象は人です。 全てと一体なのだから、当然、人類全ての人とも一体であるはずなのに、それが抜け落ちていた。 意識していなくても元から一体なので繋がっていない訳はないのだ ...
既に全ての願いは叶っているという認識
既にあるというのは、言い換えれば、既に全ての願いは叶っているという事でもありますよね。 この認識が、おそらく真実なのだろうという事は何となく理解は出来てきました。 でも、納得出来てない(笑) 心底納得出来れば、急激に現実も変化するのだろうとは思いつつ、心理的抵抗感はなかなか消えませんな。 まあ、初めてこの概念を知った時はなんとなくの理解どころか、ふざけんな!って怒りすら覚えていたから、それに比べれば結構進歩はしているのだけど、やっぱ抵抗があるなぁと感じている。 それが、今の私の限界なんだろうけど、その限界 ...
アファメーションはある程度ポジティブになったら、止めるのもひとつの選択
ほんの2日程前にもアファメーションを推奨している記事を書いておいて何を言っているのだ?という感じもありますけどね。 ただ昨日辺りから急激にアファメーションが邪魔になってきてる感覚が出てきていましてやめました。 おそらく「既に在る」感覚がかなり強くなってきたからではないかと思います。 とは言え、強く主張したいのは、ネガティブな思い込みが多い段階ではアファメーションはとても効果的な方法だという事です。 これは本当にそう思う。 ただアファメーションを続けいて段々ポジティブになってきたら、目指す方向によっては止め ...
3日前に雑感に書いた天地自然の氣を取り込んでなかったという発想そのものが分離の観点だったという事に氣が付いた
源(ソース)の立ち位置からすれば、天地自然も自分の一部なのだから、そもそも繋がる必要すら無かったという事。 天地自然の気を取り込まないといけないという発想は、エゴ視点の分離の発想でしたね。 その発想自体がが天地との分離を生み出していたという事の様です。 それに気が付いた瞬間に、天地とはずっと繋がっていた事が分かったし。 源(ソース)は全てであるという事を、全然理解出来てないじゃんって(笑) 全てと言いながら天地を遮断していたりしてるからなぁ。 全てっていうのは、天地自然も含んでいるし、もっと言えば宇宙全体 ...
昨日の体感によって、人の意識と神に意識が同一である事や、自分が愛そのものであるという認識が繋がった感じ
いまここを積極的に意識する様になって1ヶ月と少しが経ちました。 その間に、かなり認識が修正された感じがします。 昨日の体感の前に、人の意識と神の意識は同一である事や、自分が愛であるという体感が不意にやってきた事は雑感でも触れましたが、それらが昨日の体感で繋がった感じです。 源(ソース)から身体も含めた現実世界が湧き出しているという体感ですね。 湧き出すという表現は語弊があるかも知れませんが、イメージとしてはそれが分かり易いのでそのまま使ってます。 実際は、源(ソース)に生じている波動という事ですけど、それ ...