録音アファメーションの文章を変えてみた
面倒くさがりなので、自分でアファメーションを繰り返し言うのはやってなくて、主に録音アファメーションをやっています。 スマホで録音から再生までやれるので本当に今は録音アファメーションがやりやすいですよね。 アファメーションそのものの効果は大きいのだけど、文章の選択によって、かなり効果に差が出るのも事実です。 効果が大きいが故に、文章を誤ると逆効果にもなり得る諸刃の剣でもあります。 文章の作成は、試行錯誤しながら自分にぴったりのものを選択するしかないのが実情ですね。 先日から、大幅に文章を変えてみました。 睡 ...
源(ソース)から現実世界が湧き出しているという認識の方が正確かも知れない
身体も含めた現実世界に源(ソース)からエネルギーが湧き出すという様な感じで捉えていたけど、それも思い込みかも知れない。 現実世界が源(ソース)から湧き出しているということなのかなぁと思った。 源(ソース)からエネルギーが湧き出してそれが創造という認識だと、現実世界と源(ソース)はエネルギーを介して繋がっているということになり、ワンクッション入ってしまいますよね。 でも、素粒子の世界の認識からすれば、源(ソース)に起きている波動が現実世界そのものなのだから、源(ソース)から現実世界が湧き出しているという認識 ...
源(ソース)の事に夢中になってから、天地自然の氣を放置していたかも知れない
私の原点は、天地自然の気を取り込みながら気を高めて行く気功だったし、それで気を高めてきたのだけど、源(ソース)と繋がる事を意識し出してから、天地自然をあまり意識しなくなっていた事に昨日気づきました。 一体いつからなんだろう。 源(ソース)を意識する事はもちろん重要なんだけど、天地自然だって同じ様に重要なんだよね。 にも関わらず、源(ソース)にばかり意識を割いていた。 まあ、両方同時っていうのが以前のレベルでは難しかったっていうのはあったから、源(ソース)を意識するには天地自然の気を放置するしかなかったとい ...
認識が変わることでエネルギーレベルも変化する
これは、上がるのも落ちるのもどちらにも言えますよね。 真実に近い方に認識が変わればエネルギーレベルは高まるけど、逆の方に変わるとエネルギーレベルも落ちてしまう。 昨日の私がそうだった。 一昨日の認識だと、相当な量のエネルギーが湧いていた筈なのに、第三脳室から溢れ出すだけに限定してしまいましたからね。 今朝は、また認識が変化したのでエネルギーレベルは高まっています。 上げたり下げたり、また上げたりと本当に忙しい(笑) いまは、身体も含めた現実世界全体から湧き出す感じの認識になっているので、かなり楽です。 第 ...
第三脳室から溢れる感じになるのも結果である事に氣が付いた
いまここに在ることで、第三脳室辺りに湧き出す感じが出るのは確かなんだけど、だからと言って、いまここに在る為に第三脳室を意識するのは違うということに気が付きました。 前も同じ様な結論になったのに、また同じ事を繰り返していたのは、何だかなぁとは思いますが。 どこか特定の場所に限定したがるのはエゴ視点の考え方ですよねぇ。 「いまここ」はどこでも無いし、全てでもあると自分でも書いているのに、その言葉の意味の理解が浅かった感じ。 意識するなら全てであって、どこでもない何かだということ。 だから、宇宙全体を感じる様な ...
結果的には、秋頃に探し求めていた源(ソース)とのリンクは見かけ上は第三脳室という事になるのかも
あくまでもエゴから観た見かけ上という事ですけどね。 実際は、全てなんだけど、体感として源(ソース)とのリンク場所は第三脳室という感じになるという事。 それは魂とのリンクでもある。 ただ、「いまここ」を意識する事が前提ではありますが。 「いまここ」無しでも魂のリンクとして意識すればそれなりにエネルギーレベルは高まると思いますが、やはり「いまここに在る」というのは、非常に重要な認識なので、それは外さない方が良いと思われます。 「いまここ」を意識しながら第三脳室を意識する事で源(ソース)との繋がりを感じやすくな ...
身体の特定の場所を意識するのは違うと思ったけど、第三脳室だけは意識しておくことに
進歩なのか退化なのか、現時点ではなんとも言えませんが(笑) 第三脳室に意識を合わせておくことを追加しただけで、後は「いまここに在る」という事を意識するのは同じです。 感じている世界は極わずかな瞬間とは言え過去ですから、現実世界を感じる事は厳密には「いまここ」ではありませんよね。 でも感じる事ができるのは現実世界だけです。 そこで有と無の話がでてきます。 無を直接把握することはできませんが、有を感じきって、その上で感じられない何かを意識することで、無を意識する事は可能です。 それは、そのまま、過去である認識 ...
自分を愛で満たそうとする事そのものが分離だったという
自分を愛するために源(ソース)と繋がり、創造エネルギーである愛で自分を満たそうとする事もエゴの領域なんだなぁと気が付いた。 愛で溢れた存在に為る事がエゴとはどういうことだ?と思うかも知れませんが。 自分を愛で満たすという事は、自分と愛は別のものだという認識が前提にある訳です。 その時点で分離ですからね。 それすらエゴ視点の考えだったのかと、衝撃を受けてしまった。 スピリチュアル的な視点であれこれやっている事さえ、実はエゴ視点の産物の事が多い。 ちょっと前の私で言えば、魂とのリンク云々、源(ソース)とのリン ...
認識の修正が続いている
以前、エゴが全盛だった頃に気づいた認識が、結構、間違っている事に、いま気付き始めていて認識の修正をしているところです。 当時、これは凄い!って思って、ずっとそれを前提にやってきた意識の持ち方が、今から思うと間違っているなんてことがあって衝撃を受けたり(笑) その認識になってから、気が虚しやすくなっていたことに、今更ながら気づいた。 身体の周囲の気を押しのけて、身体に必要な気を充分に廻せないような意識状態になっていたという。 それをやめただけで、また気が上昇した。 よくこんなやり方で、ヒーリングを行いつつ、 ...
人の意識と神の意識は同一のものみたいだね
今朝、起き抜けに「いま」に意識を合わせていたら、急に来た感じ。 人の意識と神の意識は次元が違うもので、それを繋がる為に色々やっていると疑いも無く思っていたけど、人の意識と神の意識は全く同じものだぞ?という感覚が来たというか、何というか。 そして意識が源(ソース)そのものなのだろうなと。 意識は全てに遍く存在しているので、身体の内側に限定されてはいないということ。 ここでいう意識というのは、思考とは違いますからね。 エゴというのは、自分が思考の連なりだと思っている状態の自己なので、意識とは若干違います。 こ ...
コアスターにとらわれるとコアスターは感じられなくなるらしい
これは私の心の悪い癖なんだけど、「いま」に意識を合わせる事でコアスターらしき何かを感じられるようになったら、ついコアスターを感じ様としてしまっていたことに気が付きました。 結果としてコアスターを感じられなくなってしまいそうになったという。 大事な事は「いま」に意識を合わせ続けることなんだと再認識。 「いまに在る」結果として、コアスターが現れるのであって、コアスターを意識するからコアスターが現れる訳では無いという事。 これを肝に銘じないとね。 コアスターが現れるという表現も違うのかも。 「いまに在る」ことで ...
再びコアスターの概念が浮上
約1ヶ月前にへその上3~4センチ上の辺りに感じるポイントの事を書きました。 それがコアスターと呼ばれる何かであることも。 あの後、「いま」に意識を合わせる事に入り始めて、源(ソース)や魂とのリンクの場所については放置していたのだけど、ここに来て「いま」に意識を合わせている事で、身体の3カ所から気が湧き出している様な感じになっている事は書きました。 その状態から更に深度が深まると、やはりコアスターの部分が脈打ち始めました。 もう無視はできませんよね、これは。 コアスターと源(ソース)はほぼ同義だと思います。 ...