神に脳を明け渡そうとしていたら、天からの高い波動が頭頂に降り注ぎ始めた。
むしろこっちが神の波動なのかね?
とすると仙骨が神の座というのがぐらついてくるな(笑)
ただ神の座が仙骨ではなかったとしても、仙骨は重要な場所には違いないので、別の解釈に変わる事はあっても、もう意識から外すことはしません。
結局、脳、心臓、仙骨の三位一体というのが正解って事なのかなぁ。
いまここを意識していて反応するのは脳幹の方だったし。
仙骨はむしろ地球の波動絡みなのか。
人の波動は心臓で。
地球も人も神だしな。
頭頂から入り込んで仙骨に留まるという見方もあるけれども。
脳幹、心臓、仙骨、それぞれに神の座であるという主張があるしね。
全部、正しいけど、不完全という事なのかも知れない。
まあ、神に身体を明け渡せば、全身が神の座になる訳だけどね。
追記
宇宙の波動が頭頂から入って仙骨に至るという解釈は、どうも正解っぽい。
頭頂から入ったからと言って、脳に留めないと行けないという理屈はないもんな。
その辺の変な思い込みっていうのもあったのかも知れないね。
頭頂から取り込んだ波動は脳で処理しなければならないとかさ。
身体全体を器として捉えるなら、頭頂から取り込んだ気が骨盤まで降りるのは当たり前なんだよな。
仙骨で天の波動と地の波動の両方キャッチしたって良いわけで。
上昇と下降の気流が重なるというのは、まさに火水の座という事でもある。
いきなり神道系の火水という表現に変わってますが(笑)
取りあえず、天の気が頭頂経由で仙骨に至るというのは、特に問題無い理解であるという事だけでも認識出来て良かったです。
今から思うと、どうしても背後から波動を受信するというイメージがぬぐい切れていなかったみたいで。
でも、そうじゃないんだと。
背後からのイメージだと波動のイメージが仙骨に平行に拡がるイメージしかなかったけど、頭頂から入ってくるなら、仙骨に対して垂直に波紋が拡がるイメージが持てるし。
これも今から振り返ると、そういうイメージだったと気が付いた感じ。
追記2
火水の入り口が脳で、火水の座が仙骨、火水の出口が心臓って感じかも知れない。
流れとしては、脳→仙骨→心臓になると。
これなら、脳が受信で、心臓が発信というのにも合致するしな。
それに、この流れだと、神に身体を明け渡すのもやりやすい気もする。
取りあえず脳の抵抗がかなり減る感じ。
頭頂から相当な量流れ込んでくるのだから、抵抗しようが無いという事かも。
いまここを意識することで、脳幹辺りが脈打つ感じがしていたのは、そういう事だったのかな?と。
あの時のミスは、仙骨を無視していたから、脳内にそのエネルギーを留めてしまっていた事だったのだろう。
あんな膨大な量のエネルギーを脳内に留めていたのも、凄い負担だったろうし、それが抵抗となって、せっかくの流れが停滞したりもしていたと思う。
あの時の膨大なエネルギーをそのまま仙骨まで流す様にしたのが、いまの感じ。
そしたら、心臓から溢れ出す感覚が来たという。
追記3
不意に思い出したけど、頭頂から入って、仙骨に流してから、心臓から溢れ出させる感覚って、2005年頃に普通に持っていた感覚だったよ。。
当時は、仙骨に流すという意識はなく、頭頂から入ってハラまで流して、心臓から溢れるという感じだったけど。
それを天然の感覚で持っていたのに、今の今まで忘れていたとか。
もしかして、その当時の気の状態の方が凄かったのかな?
いくらなんでもそれはないと思いたいが。。
とは言え、より良くしようとして、ドツボに嵌まるというのはよくあるパターンではありますけど(笑)
天然で出来ていたことだと、一旦外れてしまうと、戻せないですしね。
どうやっていたのか理屈が分からないからさ。
今回、12年前に何となく天然で無意識にやっていたことを、意識的に再現できたという面では、おめでとう!って感じではある。
2005年って言えば、愛知万博の頃だよなぁ。
年間100本くらいライブ観てた頃だわ(笑)
仕事もしながら、よくそんなにライブ観ていたもんだ。
名古屋に月10回とか平気で行っていた。
仕事で、埼玉やら兵庫やら、奈良やらまで出張も翌年くらいまではやってたしな。
四日市も週1回行ってたしなぁ。
凄い勢いはあったよね。
今は、遠隔ヒーリングメインだから名古屋の人ですら遠隔ヒーリングだもんなぁ。。
埼玉まで日帰りとかで出張してたとか、自分でも驚く。
依頼者の方はヒーリング代より多額の出張費で大変だったと思います。
交通費だけで2万5千円位かかるからね、伊勢から埼玉往復だと。
呼ばれれば出張費さえ払ってもらえるなら、スケジュールさえ合えば日本全国どこでも行く位の気持ちに戻そうかなぁ。
今でも隣県までは依頼があれば行きますという事は書いてるのだけど、一応書いてるだけみたいなね(笑)
隣県より遠くまでいくという気持ちは消えていたからなぁ。
そういう気持ちって大事だよね。
実際に呼ばれるかどうかは別としてもね。