自分を愛で満たそうとする事そのものが分離だったという

2016年12月19日


自分を愛するために源(ソース)と繋がり、創造エネルギーである愛で自分を満たそうとする事もエゴの領域なんだなぁと気が付いた。
愛で溢れた存在に為る事がエゴとはどういうことだ?と思うかも知れませんが。

自分を愛で満たすという事は、自分と愛は別のものだという認識が前提にある訳です。
その時点で分離ですからね。
それすらエゴ視点の考えだったのかと、衝撃を受けてしまった。

スピリチュアル的な視点であれこれやっている事さえ、実はエゴ視点の産物の事が多い。
ちょっと前の私で言えば、魂とのリンク云々、源(ソース)とのリンク云々、コアスターを感じる場所云々もエゴ視点の物の考え方だった訳です。
これはショックですよ。
気功を始めて30年近くになりますが、気功を始める前も含めると30年以上、真理を会得しようとして探求してきた事そのものがエゴを強化していたという事でもありますからね。
気の強化はともかく、魂との繋がりとか、源(ソース)との繋がりを得ようとすることさえもエゴの産物だったなんてね。。
スピリチュアル的な取り組みさえもエゴって気付いた時はほんと衝撃的ですよ。

分離が前提のものは全部エゴ視点だという事ね。
その方法論を一生懸命やったって真理には辿り着けないと分かった。

今から思えば、本当に真理を何とか言葉にしようとしている人達の書籍は、身体のどこそこの場所で、霊的な何かと繋がるとかそんなこと一切書いてない事に気が付きます。
ただ、そういう内容の書籍って、地味だし分かりにくいからあまり売れてなかったりしますよね。

身体のこの場所が、霊的にこうでこういう風にすると、こういう能力が目覚める的な名用の方が派手で売れたりする。
たしかに、その通りにすると一定の能力は使える様になるのだけど、それがエゴの拡大によって能力をエゴの意志で利用できているだけで、真理とは違うし、能力は限られているし、その能力が必ずしも幸せに繋がるとは限らないという。

なまじ、ある程度能力が使えてしまうばかりに余計に抜け出せなくなっていたりね。
それは、まさにちょっと前までの私の陥っていた罠でもある。

先日、人の意識と神の意識は同一かも知れないと気づいてから、認識の修正がどんどん起きているのだけど、その流れで、今日気づいたのが、自分を愛で満たすということそのものも分離だったという事です。

これはエゴが自分で、それを宇宙の創造エネルギーの愛で満たそうという事なんだよね。
それでエゴを変容させようというのはあるのだろうけど、前提が間違っていたという事。

自分が愛そのものなんだよなと気づいた訳です。
人の意識と神の意識が同一のものなんだから、そうなるのは当然なんだけど、先日気づいた時点ではそこまで結びついていなかった。
そういう概念に気づいただけで、体感はしてなかったですからね。

自分は愛であり、愛は全てであり、源(ソース)であり、創造エネルギーそのものでもある。
そしてそれは神の意識であり、人の意識でもある。
愛は全てなのでエゴも自分なのだけど、「エゴが自分」というのと「エゴも自分の一部」という事では、意味が全然違いますからね。

常に「自分が愛そのもの」の体感を得られている訳ではないのだけど、今日体感していた時に感じたのは、本当に全てが自分なんだと。
俗世間的な事で言えば、仕事もお金も自分だという事。
自分は癒し手ではなく、自分は「癒しという現象そのもの」であるという事。

自分は癒し手であるという事だと、癒し手だけに限定されてしまうということ。
自分は癒しという現象そのものであるという認識は、癒し手と癒される者がワンセットになる感じ。

「宇宙の本質は関係性にある」という事は言葉としては知っていたけど、いまいち意味が分かっていなかった。
個人は関係性の架け橋であり、関係性そのものが本当の私であるという事でもあるのでしょう。

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