いまここを積極的に意識する様になって1ヶ月と少しが経ちました。
その間に、かなり認識が修正された感じがします。
昨日の体感の前に、人の意識と神の意識は同一である事や、自分が愛であるという体感が不意にやってきた事は雑感でも触れましたが、それらが昨日の体感で繋がった感じです。
源(ソース)から身体も含めた現実世界が湧き出しているという体感ですね。
湧き出すという表現は語弊があるかも知れませんが、イメージとしてはそれが分かり易いのでそのまま使ってます。
実際は、源(ソース)に生じている波動という事ですけど、それは現実世界が源(ソース)から物質化しながら湧き出している様なイメージに感じられなくも無いですから。
エゴが主体の時って、全てと一体であるというのは感じられても、全てが自分であるという認識にはなりませんでした。
でも、今回、源(ソース)が主体の様な認識に変化しているので、全てが自分であるという認識が何となくですが理解出来る様になりました。
全てが自分なのでエゴも自分なんだけど、自分がエゴという事ではないですからね。
全てが自分と言うことは他者も自分だし、世界も自分という事です。
世界が自分という事は世界を流通しているお金も自分だということ。
日本円換算で京の単位のお金が流通している訳ですが、それも自分だという認識はなかなか強力です(笑)
お金を増やしたければ、その莫大なお金のエネルギーの流れから、自分がフォーカスしているエゴの周囲にほんの少しの流れを作れば良いだけの様な気がしてきました。
お金って物ですらなく概念ですもんね。
現物としての紙幣や貨幣は存在してますけど、それも概念を実体化しているだけで、現物そのものは、単なる紙切れと金属片に過ぎないですし。
紙切れと金属片に概念が合わさって初めて、紙幣と貨幣に力が出る。
これはなかなか興味深い事象です。
であるならば、自分がフォーカスしているエゴに自分が望むだけの金銭的価値を与えれば良いだけなのかも知れない。
それがエゴの周囲に金の支流を作る事にも繋がるという感じか。
その支流が出来れば、お金は勝手に湧いてくるのでしょうね。
これはお金に限った話でもありませんよね。
全てが自分なんだから、必要なものを自分のフォーカスしているエゴのところに湧き出させれば良いだけだもの。
これって、スピリチュアル系とか引き寄せとかでよく言われている「既にある」という認識に近い感じかも知れない。
今回の認識になるまで、「既にある」という認識は、概念としては分かるけど、まったく納得出来ない感じだったけど、いまならなんとなく納得できる様な気もする。
完全に納得出来てないのが、まだちょっと弱いのだけど(笑)
でも、目指していた境地に、あとほんの少しで到達できそうな感じもする。
既に到達していると思えば、そうなんだろうというのも分かってるんだけどね。
それが「既にある」という事なんだし、到達しようとしている時点で到達してないと宣言してる訳だし。
ややこしい(笑)