ほんの2日程前にもアファメーションを推奨している記事を書いておいて何を言っているのだ?という感じもありますけどね。
ただ昨日辺りから急激にアファメーションが邪魔になってきてる感覚が出てきていましてやめました。
おそらく「既に在る」感覚がかなり強くなってきたからではないかと思います。
とは言え、強く主張したいのは、ネガティブな思い込みが多い段階ではアファメーションはとても効果的な方法だという事です。
これは本当にそう思う。
ただアファメーションを続けいて段々ポジティブになってきたら、目指す方向によっては止めるのもひとつの選択なのではないかな?と。
これはアファメーションに限った事では無く、願望実現系の様々な作業全般に言えることですけどね。
自転車の補助輪的なものだと考えると良さそうな。
幼い頃に自転車に乗るなら補助輪を付ける事で転ばずに乗れますよね。
でもちゃんと乗れる様になってくれば、補助輪が今度は邪魔になってきます。
そんな感じの受け止め方です。
というのは、在る段階で自己矛盾を起こし始める事に気が付く訳です。
既に願いが叶っている様に思いなさいという事で、アファメーションを始める訳ですが、本当に願いが叶ったと仮定してその立場に立ったなら、アファメーションを始めとする願望実現系の作業ってしないよなぁという事。
「既に在る状態」を体感しはじめたら、既にあるのにそれを得る為の作業のアファメーションをしているのはおかしいとなりますからね。
そういう意味では、「既に在る」という体感が出始めるまではアファメーションは続けるのは効果的かも知れません。
「既に在る」為には「いまここ」に意識を合わせている事が前提になりますから、それだけをやれば良い様な気もします。
ただ、そんな中でもひとつだけ続けられるアファメーションはあります。
それは「私は(自分の名前のフルネーム)である」という宣言です。
この方法は空間心理カウンセラー 伊藤勇司さんのブログを偶々読んで知りました。
その解説記事を読んでいてなるほどなぁと思ったので紹介させて頂きました。
これは「いまここ」の「ここ」に相当する様な気がしています。
「いま」が全てで、「ここ」は名前の対象の自分の世界という感じ。
いまこの瞬間に意識を合わせるのは本当に素晴らしい体験で、様々な体感とかもやってくるんだけど、ついこの身体の所属する現実世界をないがしろにしてしまう事があるかも知れません。
それの回避に自分の名前を宣言するのはかなり有効だと思います。
始めは、これやってしまうと、せっかく従にしたエゴが強化されてしまわないか?と思ったのだけど、それは大丈夫な感じでした。
普段、自分の名前をフルネームで言うことってあまりないですよね。
初めて会う人に自己紹介する時くらいでしょうか。
その場合でも、苗字と所属だけを言う事も多いですし。
自分の名前を宣言するのが良いからって、いい大人が一人称を自分の名前にするのは止めて下さいね。
それはそれで問題ありますから。
まあ一人称で使う時にフルネームいう人はまだ遭遇したことないですが(笑)
関係無いけど、10年ほど前のアニメ、コードギアス反逆のルルーシュの主人公のルルーシュがギアスを使う時に、自分の名前をフルネームで「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる~」って言っていたのは、そういう事なのかもなぁとか変な納得したり(笑)
他には、逆に呪術から避ける為に誠の名を内緒にしたりするという設定の話も多いですよね。
ゲド戦記とかもそうだったね。
これらはフィクションだけど、実際の魔術とかその類でも名前というのは非常に重要ですからね。
私の行う遠隔ヒーリングだって、名前と生年月日を基に作成した形代を介して行ってますしね。
ふと、ゴダイゴのビューティフルネームって歌を思い出したよ。
古いなぁ(笑)
でもあの曲は、良い歌だと思う。
それはともかく、自分の名前を宣言するというのは、自分を愛する効果も高い気がする。
もしかすると最も簡単で効果的な自分を愛するワークかも知れない。
意外に、自分の名前を宣言する事に抵抗感がある人も多そうだしね。
キラキラネームとか付けられてしまった子供さんには同情するしかないですが。。
本人が気に入ってりゃキラキラネームだろうが何だろうが構わないとは思いますけど、嫌がっている人も多いですから、その場合だと、この自分の名前を宣言するっていうだけでも相当キツイかも知れないとは思う。
キラキラネームを付けられてしまってそれが嫌で改名したい人達の改名手続きがもっと簡略化される事を願いつつ。