呼吸と、いまここを相関させるのはやっぱ違うなぁと思った。
いまとここは別々のものじゃないって思い出した。
媒介と波動だから、波動だけ感じるっていうのが違うと。
ちょっと前は、今から思うと、媒介だけ感じる様な意識状態にしていた様で、それの反動で世界を感じる事を戻した感じ。
でも、それも違っていた。
両方を意識する事が重要だったと。
ただ、媒介は「無」なので感じる事はできない。
でも、有である現実世界の影とか内側として意識する事は可能だということ。
以前書いた、ドーナツの穴の様な感じだろうか。
ドーナツの穴というのは、何もない場所のことだから、穴だけを感じることは不可能で、ドーナツの存在があるから、その穴という何もない場所を認識出来るという様な感じの事ね。
有を感じることで、感じられない「無」を把握する感じというかね。
そして、有は無に生じた波動であるから、有と無はバラバラでは無いという事。
色即是空、空即是色というのは、そういう事だった。
懲りずに、呼吸と合わせるなら、有と無を吸気時に意識する感じにすると把握しやすい。
慣れれば、ずっと有と無を把握できるようになると思う。
無心で有よ無を意識できれば尚良しか。
意識するとか言いつつ、無は意識そのものなんだけどね。
この辺りの知的な理解はなかなか難しいものがある。
でも体感的にはなんとなく分かる氣はする。
自分の意識と宇宙の普遍的な意識は同じものなんだって理解が出来れば、認識が変化するでしょう。
意識と精神は別のものだからね。
思考や感情の活動は精神とか心で、それは自分が自分と思っている自我なんだけど、その自我の背後にある意識は、神の意識と同一と表現しても良いと思う。
自我にフォーカスし過ぎているから、自分の意識と宇宙の普遍的な意識が同一のものだと認識出来ないという事なのだろう。