へそ、心臓、盆の窪


肉体へのとらわれの強さが、様々なやり方の解釈の間違いに繋がっていたのだろうと、改めて感じた。

肉体は魂が創造した現実を、感じたり体験した入りする為の器であるという前提で解釈しなおせば、へそや心臓、盆の窪の使い方がみえてくる。
全部、そこから取り込めば良かっただけ。
肉体は感じる為のものなのに、肉体から創造力を開放しているという想いがどうしても抜けなかった為、へそや盆の窪からは取り込むが、心臓からは力を開放するとか、そんな解釈が消えなかった。

心臓でも感じるって理解出来たら、なんかいい感じになってきた。

「なにもしないこと」が重要というのは、つまり、「肉体では現実に干渉しない」ってこと。
現実を創造するのは魂より上位の存在なので、肉体で干渉しても邪魔なだけという。

そこまで突き詰めて考えていなかった若い頃は、心で感じるといえば、素直に心臓辺りで感じていたし、それで上手く流れていたのに、いつからだろう、変に考え過ぎるようになって、心臓は感じるものではなく、創造する場所だ!みたいなとらわれになって。
脳もそうだね。
考える事自体が、肉体で何かをやっていることに相当するという事も薄々理解していたのに、エゴがそれを認めたくないと。

考えたりイメージングをするのでは無く、直感や閃き、ヴィジョンを受診し、それに従って動くというのが大事なのだろう。

それにしても、これほどまでに肉体や思考にとらわれていたとはね。
どうしても、氣功的な修練方法は、肉体重視の傾向が強い面があるので、その影響はあるのかも知れない。
肉体軽視もダメなんだけど、魂軽視もダメだからね。

その良いバランスが、「魂で創造し、肉体で体験する」って感じなのかも知れない。
その為には、自己の立ち位置を少なくとも魂のところに置かないといけない。
神智学でいうアストラル体レベル以上って感じね。

要するにオーラが魂みたいなもんだから、オーラが自分だという認識でいること。
空間的な見かけ上は、オーラは肉体より大きいので、それに合わせる感じ。
究極的には世界が自分なんだけど、まあ、いきなりそこまでの体感は望まなくて良いと思う。

自分の肉体から半径90センチくらいはオーラが広がっているので、少なくともそれくらいの範囲は自分の範囲と体感できると良いと思います。

でも、この認識だと満員電車なんて狂氣の沙汰だというのが良く分かる。
あんなの絶対無理だもの自分は。
地方在住でほんま良かったと(笑)

それはさておき、オーラは見かけ上それくらい広がっているけど、物理次元の波動ではないので、物質を貫くことはできるので、例えば車に乗ったからといって、オーラの羽仁を狭める必要は無く、車からはみ出せば良いのでそういう感じで受け止めるといいかなと。

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