背後を意識することを最近軽視していたことに氣がついた。
氣づいてすらいなかったことに衝撃を覚えたけど(笑)
で、思い出したのが、背後で考える感じのやつ。
すっかり忘れていた。
背後って空間的な背後では無く、感覚的な背後なので、なかなか説明するのが難しい感覚ではある。
今回思ったのは、背後と「いまここ」は同義かも知れないということ。
それは無とか空とかと同義でもある。
であるならば、それは神ともいえるのかも知れない。
神は背後に在りということか。
まあ、背後に神が在るっていうより、背後が神そのものなんだろうけど。
神は天にあるんどえはなく、背後にある。
しかもごく近くに。
現実世界も神でできているので、神が近くにあるというのも本当は正確な表現ではないのだけども。
それはさておき、背後を意識すると委ねる感覚も出やすいし、感謝の氣持ちもでやすい。