時間も空間も幻想で、あるのは「いまここ」だけっていうね。
なぜ、「いまここ」を意識する必要があったのかという事のひとつの解でもある。
というか、「いまここ」を意識するっていうより、「いまここ」が意識そのもので、神でもあるという事なのかも知れない。
現実世界は、夢の様なもので、今話題のVR(仮想現実)と大差ないと言うことのようだね。
脳さえも幻影だから、VRとかのレベルじゃ無いんだけどさ。
時間や空間までもが幻想ってなってくると、もう訳が分からん様な気もする。
でも、古来から、世界はマーヤーって言われていたりするし、般若心経の「色即是空、空即是色」っていうのも、そういう事ですから。
量子物理学とかでも、それが証明されつつあるよね。
目の前にある物体だって、実は隙間だらけで、実体なんてほとんどない、高エネルギーの海のさざ波の様なものだという。
また素粒子は意識と密接に関連していると。
物質を構成する素粒子が意識と関連しているなら、物質だって意識と関連するのは当然ですよね。
引き寄せ等の現象が起きるのも別に何の不思議もないという事。
それはさておき、世界が幻影である事を何となく理解できるとしても、この時間や空間も幻想であるという感覚って、なかなか掴みににくい感じがします。
この身体が存在している広さのある空間も幻想って、どういうこと?って感じでね。
大きいとか小さいとか広いとか狭いとか近いとか遠いとか無いんだよな。
夜に見上げる満点の星空も、実体は無いっていう。
空間全てに氣が満ちているなんていう概念自体も認識不足なんだ。
空間そのものが幻想っていうことは、空間を満たすもくそもない。
でもあまりにも空間の存在というのが、この肉体感覚に染みついているから、空間が幻想って言われても、全然、イメージが湧かないんだよね。
様々な霊的訓練法だって、空間の存在は事実として扱ってたりするよね。
時間や空間が幻想って、一体どう体感すりゃいいのか?っていうのが、目下の課題。
世界が幻影ってだけなら、まだイメージできるんだけどね。
空間に氣が満ちていて、その波動によって世界が出来ているという感覚までなら、割とすんなり入ってくる。
世界は波動なんだから、その波動が変われば世界が変わるっていうのもね。
でも、空間も幻想ってなてくると、混乱しはじめる。
ただ概念的には何となく分からないでもない感じはする。
即ち、時間や空間の座標というのも、ものに与えられた性質にすぎないということ。
そららが属する時間や空間も単なる波動の違いっていう事ですから、時間や空間の位置情報の波動を変えた瞬間に、別の時間や空間に出現するという事も可能になりますよね。
それって、時間を超えたり、空間を超える事も可能ってことかと思ったり。
まあ、そもそも時間や空間そのものが幻想なんだから、超えるも何もないんだろうけどね。