いまここと第三脳室、そして源(ソース)


何か凄くループしてますけど、第三脳室がやっぱ源(ソース)へのゲートだなぁというビジョンが、今朝の起き抜けにきました。
そしてそれは「いまここ」を体感的に捉える時の位置でもあるのかな?と。

誤解しないで欲しいのは、第三脳室が「いまここ」という事ではないという事です。
そこを意識することで「いまここ」を体感しやすくなるという感じでしょうかね。

それとソースへのゲートいう表現も本当は語弊はあります。
源(ソース)はすべてなので、第三脳室だけがソースと繋がっている訳ではないのだけど、体感的にそこを意識することで繋がる感覚がきたので、ゲートという表現にしたのだけど、もっと適切な表現に氣づけたらそれに変えます。
いまのところ思いついてないのでゲートと表現させて頂いてます。

それはさておき、脳室という隙間がゲートというのがミソなのかも知れません。
脳髄液に満たされてはいますが、器質は何も無い場所ですもんね。

それと、なぜ、そこが「いまここ」なんだ?という事についても少し。
認識しているものは、遠くの物ほど過去ですよね。
星空の映像は一番近くでも数十年前の姿ですし、最も近い恒星である太陽の姿も数分前の姿です。
目の前の世界の映像も、一瞬であるとは言え過去の映像です。
そうすると、最も近い場所であり、世界を認識する大脳の内側にある隙間というのは、体感的に「いまここ」を捉えるのに丁度良い場所だろうなという事です。
これは以前からずっと感じていたことで、それで脳幹辺りを神の座とかに設定してみたりしていた事が何度もありました。
まあ、でも違うかも知れないと思って、別の場所にして見たりを繰り返してはいますけど。
それでループしているという話になってます。

個人的には、第三脳室で落ち着いてくれるのが、理屈の上でも一番有り難いのですけど(笑)

何故、ループしていたかと言うと、スピリチュアル的には、魂や神の座は心臓だという認識が非常に強いから、どうしてもそれにつられてしまうところがあるのです。
長期に渡り、その様な概念になっているというのは、やはり何かしらの根拠はあるでしょうし。
でも、今回また第三脳室が来たという事で、スピリチュアルの知識の束縛から離脱しても良いのではないか?とも思ったりします。

ただ、第三脳室に関しては、とらえ方を間違うと、頭だけに氣が上ってしまうというリスクはあります。
それは避けた方が良い。
実は、第三脳室に意識がうまくはまれば、鼓動も高鳴るし、ハラの底から氣が湧き出す様な感覚もでます。
そうなれば、頭にだけ氣が上りっぱなしにはなりません。
ですから、意識するのは第三脳室だけで済むので、うまくはまりさえすれば楽です。

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