へその重要性に辿り着きながら、ただへそ意識するだけでいいっていうのが信じられず、色々やっていた。
へそから氣を開放してみたり、吸ってみたりとか。
でもそうじゃなかった。
ただ意識すればいいだけだったと。
意識していれば、後は自動的にへそから氣は出入りするし、鼓動は高鳴るし、脳も脈打つ。
自然に宇宙を感じる事もできる。
宇宙を感じようとしている時点で感じてない。
単に自分のイマジネーションを創っているだけ。
イマジネーションを創るのも委ねてないと氣付いた。
へそを意識して、ただ世界を感じるだけでいい。
そうすれば自然に宇宙を感じている事に氣付く。
そうすると自然に様々なヴィジョンが浮かんで来る。
自分でイマジネーションを創るのとヴィジョンが浮かんで来るのとでは、全然違う。
委ねるという事は、イマジネーションも創らないという事だと理解した。
へそという核心部分に辿り着いても、エゴがへそをどう使うかとか考え出して邪魔しているんだよね。。
へそをただただ意識するだけというのが、エゴにとっては理解し難い感覚みたいだ。
なにかしなきゃだめだろうって、試行錯誤を始めてしまう。
そうではなく、ただ意識して自然に動き出すのを待ちなさいって事だった。
何もしない事の大切さって事でしょうね。
何をするかではなく、どう在るかが大切なのだと。
あるがままに在ることで、様々な事が起きてくる。
自分の身体の動きも含めてですね。
それは自分の意志を放棄する事でもあるので、エゴはもの凄い抵抗をする。
でもそのエゴが神との断絶をもたらしてしまい、現実が上手く流れなくなる。
神と共に在りたいと思っているくせに、神の邪魔をするのがエゴだという事。
自分の意志や目標を捨て、委ねる事で、初めて神と自己が一体になるのだろう。
へそを意識するだけで良かった。
いまここもへそを意識すると理解しやすいと思います。
へそを意識するだけで、かなり心も落ち着くしね。
それにしても、なんでへそなんだよ!っていうのは、本当に思う(笑)
この世に生まれでたら、肉体的には何の働きもない部位なのに、霊的にこれほど重要だったというのは驚きです。
単なる窪みだからなぁ。
どうしたって、脳や心臓に意識向いちゃうよね。
へその重要性に氣付いてから、ググってみたら、へその重要性を説いていらっしゃる先輩方はたくさん存在していた。
脳派、心臓派、仙骨派の方々に比べると少数派ではあるけど、氣付いている人達は一定数いて嬉しかった。
でも、私はへその扱い方を間違っていたというオチ。
くどいけど、ただただへそを意識するだけでいいということ。
そうすれば、後は全自動。