恋と愛は、カレーと味噌汁に似ているかも知れない。


恋がカレーで、愛が味噌汁って感じ。
あくまでも私にとってという事ですので、一般化はできませんが。

いきなり何の話やねんって。
前提として、好きな食べ物は?と聞かれたら私はカレーと即答するくらいカレーが好きという事と、味噌汁はほぼ毎日飲んでいるというのがある事を覚えておいてください。

カレーが好きと即答する割に、カレーっって多くても週3回くらいしか食べていません。
年間を通して月平均すればもっと少ないです。
いくらカレー好きとは言え、ほぼ毎日カレーとなると、ちと辛くなってきます。

対して味噌汁は、ほぼ毎日飲んでいる。
にも関わらず好きな食べ物を聞かれても、候補にもあがってこないという。
ほぼ毎日食べているってことは好きな食べ物のはずなのに、食べるのが前提になっていて好きとか嫌いとかの対象じゃなくなっているんですよね。
カレーは超美味いって感じて食べる事も多いけど、ほとんど毎日食べている味噌汁には、そこまで美味いって感じた事はない。
にも関わらず、味噌汁はほぼ毎日飲み、カレーは時々食べるだけ。

超美味いって思うものって、そんなしょっちゅう食べれない気もするし。
無い日食べて続けられるものって、普通な味のものかも知れない。
せいぜいそこそこ美味しいレベルまでっていうか。

不味いものは論外としても、美味し過ぎるのも毎日食べるのは無理っていうのは興味深い。
私だけかも知れないけどね。

そういや、お米だってほぼ毎食食べるのに、好きな食べ物って言われてお米は思い浮かばなかったな。
主食って、それが前提の食べ物だから、意識すらしないんだろうね。
戦後はパンが主食の日本人も増えたから、ピンとこない人もいるかも知れないけどね。

それはともかく、美味いから毎日食べたり飲んだりするわけじゃ無いっていうのが面白いなぁって思った。

自分に馴染んでいるものって、「普通」っていう感じ方になるのかも知れない。
美味しいって感じるのも、実は自分に馴染んではいないって事かなぁとか。

もしかすると、始めて味噌汁を食べた時は超うまって感じたのかも知れないけど、習慣化することによって馴染んでしまって、特に美味しいとも思わなくなっている可能性はありますな。

納豆も好きでしょっちゅう食べるけど、納豆の場合は、始めて食べた時は、ゲロマズって思ったのに、食べている内に馴染んできて、特に美味いとも思わんけど、不味いとも思わなくなった。
でもしょっちゅう食べる感じ。

じゃあカレーも馴染むくらい食えばええやんって話になるけど、そこまでしょっちゅう食べるのは身体が受け付けないんだよね。
不思議だよね。

日本式カレーって、美味しいけど、脂肪分も多いし、小麦粉も入っているし、あれは毎日食べ続けて良い成分構成じゃないしね。
インドの本場のカレーは脂肪も少ないし、身体に優しいスパイスもふんだんに入っていて、日本人にとっての味噌汁みたいなものだから、毎日食べられるんだよね。

恋と愛も似た様な感じじゃなかろうかって思った訳です。
愛は、あまりにも馴染んでいるから、その存在に気付かなくなっているのかも知れない。
で、目立っている恋に目を奪われてしまって、真に大切な愛をないがしろにしてしまったり。

恋って楽しいけど、身体の反応はストレス反応とよく似ていて、高揚感はあるけど、高負荷がかかったりします。
愛は癒しですから、とてもリラックスできて心地よいはずなんだけど、穏やかさより派手さを求める人が多いから、恋愛至上主義の様な世相になってますわな。

感受性が高まれば、愛の波動がとてつもなく強くて凄い事に気付けるのだけど、鈍いと気付けないんだよね。
だから鈍くても直ぐに感じられる恋の波動に惑わされてしまうという事なのかも知れないね。

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