顕在意識が大脳の前頭前野として、大脳の他の部分は無意識だという事を書いたけど、個人レベルの無意識もエゴだと気づいた。
そして個人レベルの無意識にし染み付いている思い込みが現実を左右しているのだったよな。
だから、脳はエゴの座ということになるのか。
今更何を当たり前の事をという感じなのだけど、無意識も大脳というところで、潜在意識と無意識を混同していて、潜在意識が現実化をするのだから、大脳の多くの領域も現実化に関わるという思い込みが根深かったです。
大脳だけに限らず、脳幹も小脳も個人レベルの無意識であって潜在意識じゃないのかも知れない。
とか言いながら脳幹は潜在意識であると言えそうな気もしないでも無いけど。
まあ、それで神の座を第三脳室に置いてみたりしたのだけど、どうやら心臓っぽいと考える様になったのが昨日。
だから、脳全体が無意識も含めてエゴだという認識に改まりつつあります。
心臓だって脳から完全に独立している訳じゃないのだけど、逆の発想というか、脳が心臓をコントロールしているのではなく、心臓が脳をコントロールしているという視点に変わると、かなり受け止め方が変わる。
神の座が心臓であるというのはそういう意味でもあります。
心臓が主で脳が従ということ。
そして潜在意識の入り口が心臓であるという認識ですね。
脳のうちで潜在意識に一番近い無意識の層は脳幹であるというのは言えるとは思います。
そういえば、心臓の磁場って脳の磁場の5000倍ほど強いという研究結果もでてますよね。
そういうのも知っているのに、どうしても脳にとらわれてしまうのは、本当に厄介ですな。
なぜ、そこまで脳にとらわれるのかというのは、脳がエゴの座だからなのだと思います。
先入観無しで愛が溢れる場所を感じ様とすれば、普通に胸の中央ですもんね。
心はどこ?っていう感覚も、体感としては心臓だし。
脳じゃない。
脳にあるのは思考の塊であるエゴのみか。