第三脳室、心臓、仙骨と「いま」
「いま」に意識を合わせ続けていたら、第三脳室辺りから気が湧き出す感じになっているという話は少し前に書きました。 その後、心臓、仙骨辺りからも気が湧き出す感じが出てきています。 「いま」になる前に、魂とのリンク場所をああでもないこうでもないとやってましたけど、これに繋がっていたのかなと。 ただし、逆必ずしも真ならずだった。 「いま」に取り組む前の間違いは、その場所から源(ソース)や魂を把握しようとしていた事だと分かりました。 「いま」に意識を合わせた結果、第三脳室、心臓、仙骨辺りから気が湧き出す感じになると ...
「いま」しか存在しないという事らしい
過去や未来というのは、記憶と想像にあるだけで、それらは実存ではないという。 だから、いまこの瞬間に意識を合わせないと、人間本来の力を使う事は不可能になる。 「いま」に何かがあるという事では無く、「いま」しか存在していないのだから、過去や未来を意識していたら記憶と想像にアクセスするだけだから、本当の力を引き出せるはずもなく。 ここ最近、源(ソース)や魂とのリンクする場所はどこだろうとごちゃごちゃやってたけど、場所を探していた時点で間違っていたのだと理解した。 場所じゃなく、「いま」に意識を合わせる事が、源( ...
五感は極わずかの過去を感じる事だけど、氣の感覚は「いま」ということ
この辺が、いまいち整理出来ていなかった様です。 私にとって、気の感覚はあまりにもナチュラルな感覚で、五感と同じ様なものだったので、気の感覚も五感と同様に極わずか過去の感覚だと無意識に受け止めていたらしい。 気の感覚は「いま」なのは分かっていた事なのに、変な刷り込みが起きていたという事です。 その刷り込みは、日常生活にはさほど影響は無かったのだけど、現実化とかヒーリングの足を引っ張っていた可能性はありますね。 この刷り込みだと、人や物の気配(気の波動)は、それぞれの人や物から出ているという事になります。 見 ...
第三脳室と「いま」
「いま」に意識を合わせていると脳の中心部が脈打つ感じになるというのは何度か書いています。 それで、その場所を脳幹だという事で落ち着いていたのですが、やはりそれでは範囲が広すぎる様で。 1回目の時は松果体と思ったけど、そこでもなく、第三脳室ではないかというところに落ち着きました。 要するに脳の中心部にある空洞ですね。 脳髄液に満たされては居ますが、空洞ですから神経細胞とか何も無い場所です。 よくよく考えてみれば、脈打っていたのだから、液体の有る場所と考えた方が自然だったですしね。 液体があるだけですから、そ ...
よくよく考えてみると、その理屈はおかしいと思った
「いま」を意識していて、脳の中心辺りが脈打つ様な感覚が出て、それは脳幹だろうというところまでは良いのだけど、何故、そこから、「いま」を意識する時は脳幹経由でやるという話に飛躍したのか、今から思うとその理屈はおかしいなと気づいた。 流れが逆ですもんね。 逆必ずしも真ならずという子友も知っているくせにこれだからなぁ。 そういう変な思考の癖があるので、注意が必要だなと思いましたよ。 おかしいと気づくのに3日以上掛かるのもどうかと思ったけど。 でも良く出来たもので、ミスったお陰で気づいた事が結構あったりするから、 ...
「いま」を意識していたら、やはり脳の中心辺りに意識が集約し拡大する感じ
先日の「いまここ」の時もそうでしたが、「いま」の場合も脳の中心辺りに意識が集約し拡がる感じが出ています。 前の時は松果体という結論になったのだけど、今回は間脳も含めた広義の脳幹で落ち着きそうな感じ。 広義の脳幹の中に松果体も含まれますしね。 何故、松果体に限定せず脳幹まで拡げたかというと、今回は脳の中心辺りで脈打つ感じも出ているからです。 脳幹内部の第三脳室や中脳水道、第四脳室とかを流れている脳髄液とかにも影響出ている感じなので、松果体だけに限定するより広義の脳幹全体として受け止めた方が良いような気がしま ...
「いまここ」ではなく、「いま」の方が良い様です。
「いまここ」に意識を合わせていたけど、「ここ」がどうも邪魔をしている様な感じなので、「いま」に変更したら、スッキリしました。 昔から「いまここ」という表現がスタンダードになっていたから、それに対して特に疑いもしていなかったので、「いま」だけの方が良いとはなかなか気付けませんでした。 かなり核心に近づいていたと思っていたのに、「ここ」に邪魔をされていたとはね。 「ここ」を意識していることで、エゴがかなり生き延びることができる印象。 エゴの悪あがきといったところでしょうかね。 「いまここ」という表現は多くの書 ...
現実世界は「結果」だという事を再認識
今朝もまた、寝起きに「いまここ」を意識していたら、「身体は結果」だという概念が湧いてきました。 そこから、身体に限らず、この現実世界は結果だよなぁという事を再認識しました。 現実世界が結果であることは知識としては知っていたけど、理解は出来ていなかった様な感じです。 身体も結果なら、身体も魂の一部というのはどう理解すれば良いのか?と思いました。 そこから理論が展開して、現実世界も魂の一部じゃないのか?という事に飛躍。 そして、魂の一部なんだけど、「結果」として存在しているのが、現実世界なのだろうと。 昨日書 ...
身体も魂の一部という事
今朝、寝起きで「いまここ」に意識を合わせていたら、不意に「身体も魂の一部」という言葉が湧いてきました。 なにそれ?と思ったのだけど、20年以上前に読んだ「バシャール」の書籍に、そういう感じの内容が書いてあった事を思い出しました。 つまり、魂の物理的現実世界への顕現が身体という事ですよね。 なんか、腑に落ちたというか、そういう事なのかも知れないなと。 これは、魂とのリンク云々という考え方が吹き飛んだ瞬間でした。 身体も魂であるなら、リンクがどうこうっていう考え自体ナンセンスだったという事ですからね。 リンク ...
新しいモデル
「いまここ」に意識を合わせているのは前提として、魂とのリンクが松果体ではないかという感じに落ち着いているのですが、では、心臓やへそには役割は無いのか?という事に思い巡らせていました。 これまであれだけ重要視していたのに、何の役割も無いというのは考えがたいですからね。 それで思ったのは、松果体が創造エネルギーの入力場所としたら、へそが放出場所ではなかろうかという事でした。 これは以前も考えた事があったけど、いつの間にかうやむやにしてしまったモデルです。 エネルギーの流入量が不足の時は、へそは締めておかないと ...
「いまここ」を意識していたら、不意に脳の中心部に意識が集約し拡がった。
意識が集約したのは、位置的に松果体だと思います。 脳の簡易イラストの中央の赤い色で表示してある辺りが松果体の場所です。 ここで松果体が出てくるとは思わなかった。 以前も、松果体を意識していた事もあったのに、その時は上手くはまらなかったのは、「いまここ」を意識していなかったからなのだろうというのが、今の印象です。 特定の部位が出てきたので、念のため、過去に候補に挙がっていた、心臓や、へそ、仙骨なども意識してみたけど、それらだと上手くはまらない。 松果体を含む脳幹や間脳という括りで意識してみたけど、それもダメ ...
魂とのリンクは「いまここ」であるという事らしい
身体のどこかではないという事ですね。 非常に抽象的ですが、古来から「いまここ」という表現はよく使われていました。 「いまここ」というのは、この物理的現実の特定の場所ではありません。 でもこぼ物理的現実視点からすれば、すべての場所でもあるので、魂とのリンクを探る過程では、身体の特定の場所と紐付けておくのも、方便としてはアリだという事なのでしょう。 「いまここ」の認識が変化すると、身体の特定の場所から魂を感じるというのは違うと認識される様です。 「いまここ」という表現は、言い得て妙だなぁと感心しているところで ...