背後を意識しながら探っていたら、心臓の内側の感覚に入った。
背後の感覚と心臓の感覚は結びついていた様な印象。
背後だけでは何か違うらしい。
心臓だけ意識しても違う。
だからって、心臓の背後とかそういうのでもない。
背後の感覚が内的宇宙の比喩的感覚なのかも知れないね。
空間的な背後を意識してしまうと感覚は消えるので難しい。
たぶん、心臓の内側の超空間的な何かなんだろうけど、空間的に心臓の内側をがっつり意識してしまと、やはり消える。
心臓の内側と背後をうまくバランスとって意識すると不意に入る感じか。
心臓の内側が背後って感覚でもあるのだけど、先にも述べた様に、心臓の背後を意識すれば良いか?と言えば違う。
背後を意識しながら、心臓の内側を意識するとうのが、一番近いかも知れない、今のところは。
そうすると、心の中に世界がある様な感覚になった。
ただこれを理屈で捉えようとすると消える。
つまり脳では捉えられない感覚なのだろう。
心は心臓にあるって事らしいな(笑)
昔から散々言われてきたことを、やっと納得したのかよと。
心臓って言うくらいだしな。
どうしても、脳が心臓より上位であるという刷り込みが消えなかった。
これって、現代の日本の教育の洗脳の賜だよなぁ。
氣功とかやってても、なかなかそれが抜けなくて、堂々巡りをしていた。
だから、脳幹から愛が溢れ~とかそういう認識から脱出できなかった。
脳で生きていても、遠隔ヒーリングもある程度はやれていた訳だし。
でも、心で生きていかないと進化は無さそう。
そして魂に至るのだろう。
心臓を意識しなければ、心や魂には辿り着けないのだろうね。
脳で生きている限り、本質には至れないと。
心臓を意識することでは、到達はできない。
心臓を意識している時点で、主体が脳だからな。
そこが難しいってことだろうね。
心臓を主体にしないといけないから。
結局の所、脳は過去の蓄積なんだろうね。
自我も過去。
心はいま。
いまここに生きる為には心で生きる必要がある。
その為には心臓が道標になる。
脳ではなかった。