自分身体を認識するとき、身体の外側から身体を把握していた事に、今更ながら氣がついた。
これだけでは、何の事か分かりにくいので、噛み砕いて説明していきます。
自分の体を動かす時とかでも、視覚的に自分の身体を認識する癖がある為に、無意識に身体の動きを外側から把握して動かしているという事です。
例えば、おへそを意識して下さいと言われたら、ほとんど人は身体の外側から窪みを認識すると思います。
内側から身体を把握するというのは、身体の内部からへそのの九緒実を把握するという事になります。
内部に向かって尖っている感覚の方が近いかも知れない。
言いたい事が伝わっているかどうか分かりませんが。
日常生活を送る上では、これでも何の支障も無いのだけど、身体の内側とかを感じたりする時にも、外側から内側を把握する癖がついているので、身体の外側と内側という分離が出来てしまう訳です。
外側から自分の身体を把握している限り、エゴ視点から抜け出すことはできない。
なぜなら、エゴは身体の表面にあるから。
そうではなく、自分の体をからの内側から把握する様にすることで、外界も身体もエゴも分離無く把握する事ができそうだと氣がついた訳です。
身体の内部は天地自然そのもの、即ち神であるので、そこから身体や外部の様子も把握する様な視点にすることで、エゴから離れる事も可能になりそう。
自分の肉体の動作や姿勢を内側から把握するというのは、慣れるまで時間はかかりそうだけど、やっておいて損はない。
外界も同じ様に内側から感じる。
この視点で把握するには体性感覚を優先する事は不可欠だ。
体性感覚以外の感覚については、外側しか感じられない感覚なので、見かけ上は大差ないけど、基点が変わるというのはある。
この観点で把握するなら、意識の焦点をむしろ脳に限定することが役に立つ可能性もでてきたな。
脳幹とかね。
また、ガラッと変わるな(笑)
身体の内部を外側から把握していたという認識がそもそも無かったので、突き詰めていくと不具合が出ていたのかも知れない。
以前に、脳を把握していた時も、結局、外側から脳を意識していた訳だ。
それだと視点のベクトルがグチャグチャですわな。
そりゃ混乱もするよね。
氣が付いてみれば、単純なミスなんだけど、視覚優先で生きていると、身体を外側視点で把握しているのって無意識でやっているから氣が付かない。
体性感覚を優先させるとか書いてる私自身も、その視点で身体を把握していたし、体性感覚を外側視点で把握していたと、氣付いて愕然としている。
根本的な部分を逆にしていたら、あかんわな。