まあしかし、何度も行ったり来たりを繰り返したものだと、自分でも笑ってしまう。
11月の時点で松果体って気付いた筈なのに、いや違うかも?とか言いながら、他の場所に移り、それでも「いまここ」を意識すると、毎度頭の中心がうずくからやっぱりそこだ!と言いながら、範囲が脳幹とか第三脳室とか微妙に拡がっていっていた(笑)
そしてまた違うかもと仙骨に戻って、でもやっぱり「いまここ」を意識すると頭の中心がーってなって、やっぱり松果体やんけ!ってなった。
松果体の役割の解釈は微妙に変化してるけど、基本的には神の座に類する扱いですからね。
全てが神なので、松果体が神の座という訳ではないのいう認識だけど、現実世界の波動って体験する世界の神の波動とも言えますから、神の座みたいなもの。
個別化した神という表現になるのかな。
それは魂という事でもあるけど。
全体の神は全ての波動も含むけど、その神に生じた波動が個別化した神、すなわち魂という解釈はできます。
個別化した神だって、すべてである神に生じた波動なので、神そのものでもあるだけおd、個別化はしているとも言える。
肉体だって神で出来ているのだけど、そういうことは置いておいて、肉体の波動と魂の波動の共鳴ポイント的な役割を松果体が担っているのだろうなという理解に至った。
共鳴は同じ波動じゃなくて、整数倍の周波数の波動で起きますからね。
それがポイントだと思う。
個別化した神って、実は世界そのものだったりもするのかなと、ふと思った。
だから、魂=世界という認識も可能かも知れないね。
自分の望む個別化した波動と共鳴することで、体験する現実を選択し続けているのでしょう。
松果体の振動を調整すれば、世界を平行移動できるかも知れないとも思った。
どうやって調整すれば良いのかが分からないけどさ(笑)
でも、その調整が、気を調えることだったり、認識を変更する事だったりな訳ですよね。
もう今の認識って、昨年の夏頃とは相当違っているから、体験している世界も、あの当時とはだいぶ違う世界に移行しているんだろうなって素で思う。
頭おかしいと思われると嫌なんだけど、実際、単なる記憶違いじゃ無いと思われる、現実の差が起きているんですよねぇ。
夏時点での世界だと、あそこはああだったはずなのに、今の時点の世界ではそれが無かった事になっているという様な事がいくつか出てきているんですよ。
昨日も、まじか!!!って思わず声出すくらい驚いたし。
あれ、記憶違いではないと思う。
現実世界って、想像以上に曖昧だと思いましたよ。