全身の生体電磁場という認識は何だったのか?(笑)
全身の生体電磁場で繋がる様な感じにしていたら、へその上3センチくらいの場所が、妙に疼くんですよね。
そこはチャクラでも無い、丹田でも無い、一般的に、霊的な何かがあると言われている場所では無い場所です。
ただし、バーバラ・ブレナン氏の著書癒しの光―自己ヒーリングへの旅〈下〉では、コアスターを感じる場所として解説されている場所ではあります。
概念的に、バーバラ・ブレナン氏がいうコアスターが、私の思う魂の概念と近いし、結局それは源(ソース)の概念でもあるよなぁと感じました。
今年の夏場に「へそ」がどうこう言いだしたのも、実はこの場所の疼きからだったのだけど、我が強いというか思い込みというか、そんな場所には何も無いのだから、へそに違いない!という考えから、そこを無視した経緯があります。
ダメじゃん。
2000年代初期は、コアスターを素直に受け止めていたのになぁ。。
ほんとエゴが肥大化していたのだなぁと、今から振り返ると感じます。
常に、その場所のことは心片隅にあったのに、エゴが邪魔をしていたのかも知れません。
そんなところには何も無いだろうという思い込みか。
コアスターの概念を知っていたのに何故無視し続けたのかも、自分でも良く分からない。
歳をを取ると頑固になり、素直さが無くなるというのは、こういうことなのか、と愕然としてみたり。
全然、委ねられてないじゃないかというのも反省した。
経験や知識の蓄積が悪い方に出た感じでしょうな。
魂と身体の主従逆転も、まだまだ中途半端なんだろうね。
でも、その場所が魂のリンクだと受け入れたので、だいぶ柔軟性は戻って来た様な気はします。
脳でも無い、心臓でも無い、仙骨でもない、これまで主要な場所として重要視してきたものが何も無い場所を、魂や源(ソース)とのリンクという最重要な場所として認識できたことは、自分にとっては本当に重大な事です。
臓器とは絡めない事が重要なのでしょう。
もっと言えば、体感的にそこに感じるだけで、この物理次元とは別の次元にあるという事でしょうし。
結局、「身体にとらわれ過ぎている」というのが最大の問題なのでしょうね。
そこをクリアしないと、本当の意味での魂と身体の主従逆転にはならない。
身体の扱いを低くしろという話ではないのだけど、あまりにも身体の感覚が勝ちすぎているからね。
気の感覚を皮膚感覚の拡張として訓練してきたから、それが染みついていて、肉体を超えている何かだという認識を持ちにくくなっているのかも知れません。
なまじ、気の感覚だけである程度の事が分かるので、無意識レベルで、それが全てだと思い込んでいるのかも知れないね。。
そうではないことは分かっているつもりなのだけど、つもりなだけだったと。
頑張って、気の感覚を高めてきたのも裏目に出ているのかもね。。
気の感覚の感度を今更下げるつもりはありませんが、気の感覚が全てでは無い事を、ちゃんと認識することにします。
どうも「気の感覚が全て」だと思い込んでいた節があることに、この雑感を書いていて気づいた。
それも衝撃的ですわ。。
自分の感覚に自身を持つことは良い事だけど、それが全てであるというのは傲慢でしょうな。
その思い込みが元凶なのかも知れないね。
色々収穫が有って良かったです。
これは、今宵のスーパームーンのお陰かも知れません。
68年ぶりの近さだそうですね。