大した事無い人ほど人を見下す言動をする
やたら人を見下した言動をする人が偶にいます。
その類の人が凄い人かというとそうでもなかったりしますよね。
本当に凄い人は、人を見下す様な言動はしないものです。
もしかしたら、内心では思ってしまうことはあるかも知れないけど、それを言動に表すようなことはしません。
そういう言動をセーブするだけの良識があるからです。
人を見下すことで不安を紛らわせている
人を見下す言動をセーブできずにやってしまう人というのは、自分に自信がないから、人を見下す事で自分を相対に高める様にしていないと不安でしょうが無いからなのでしょう。
自分が大したことないという自覚があるかどうかは分かりませんが、無意識レベルでは自覚していて、焦りがあるのでしょう。
そんな言動を続けていると、誰からも相手にされなくなってきますから、仕事にも支障が出てきて、余計に疎まれてしまうと言う悪循環に入ります。
それでもそういう人は、人を見下す言動を止める事は出来ず、絶えず人のせいにして人生を浪費してしまいます。
何かの弾みで自分を客観視することになったら、恥ずかしくて人前に出ることが出来ないレベルの醜態なのですが、よほどのきっかけがないとそれを自覚する事は無さそうです。
可哀想な人達なのですよね。
見下されている側になった場合の対処
見下されている側としては腹立たしいものですが、大した事無い人にどの様に思われようが、何の影響もないので、スルーするのが良いのかも知れません。
あまりにしつこい様なら、後々手を打つ時の為に、取りあえずICレコーダーで録音をしておくと良いでしょう。
必ずバックアップは取っておいて下さいね。
証拠というのは重要ですから。
自分のしょうもない言動を聞かされるだけでも、人によっては大ダメージを受けますから、それだけで黙らせることも可能になる場合もあります。
昭和の時代ならともかく、これだけ小型の電子機器が発達している時代に、簡単に足元を掬われるような言動をすること自体、アレな人なのですが、なかなか証拠とりをしようとする人がいないので、図に乗っている面は否めません。
人を褒める言動を増やすと人生が上向く
自分の与えたものが自分に返ってきます。
わざわざ人が不快になるような言動を自ら発信して、自分の首を絞めるのは愚かなことです。
賢い人というのは、人の氣分を良くさせるような言動をすることで、他者の氣分を上手く乗せて、その人の実力を引き出したりするものですからね。
人を見下す言動を止めて、人を褒める言動をすることを心がければ、思っている以上に、人間関係は変わります。
だからと言って、自分に害を為す相手まで褒める必要はありませんが。