身体も含めた現実世界が源(ソース)に生じている波動であるという事は、現実世界も源(ソース)そのものであるという事。
それを現実世界は源(ソース)から湧き出しているよな感じの認識で感じているという事は少し前に書きました。
これは身体の外側に感じている現実世界も源(ソース)そのものであるという事でもあります。
気づいてみれば当たり前の事なんだけど、これまでの癖で源(ソース)は内側の次元で繋がるという様な認識が強すぎて外界も源(ソース)であるという体感が希薄だった事に気が付きました。
波動の媒介が源(ソース)で、感じる事ができるのは波動である現実世界だけなので、体感的には内側っぽい感覚になるのだけど、何故かそれが身体の内側で繋がる様な感覚と錯覚してしまっていた。
たぶん、波動の比喩で海と波の関係を使う事が多いけど、海の表面の波のイメージが強すぎたのかなぁと。
表面の波が現実世界で海水が源(ソース)だとイメージしたら海の中が内側でそこで繋がっているというイメージが出来てしまったと。
で外側というのが海の上の空気のある層的なね。
でもそうじゃない。
本来のイメージに近いのは、海中の中に出来ている波動ですね。
そのイメージに変えたら源(ソース)の中にどっぷり浸かっているのも体感として理解した。
そういう意味では、波動の例えの海と波の話は、初心者に伝えるには分かり易いけど、その先に進んでくると、足を引っ張るのかも知れない。
それはともかく、海の中の波動というイメージに修正すれば、自分の身体の外側も源(ソース)そのものだと分かります。
そして自分も源(ソース)そのものである事も。
そして源(ソース)は宇宙全体に拡がっている事も。
内側と外側は同じというスピ系でよく使われる表現は文字通りの意味だったと。
今から思うと、これまでは、外界は内側の投影だから、内側と外側は実質同じだという意味合いで受け止めていた様です。
そうするとね、源(ソース)の範囲がめっちゃ狭い範囲に限定されているんだよね。
広大な宇宙と源(ソース)が同じものだという体感もなくて。
だから内なる神と大いなる神みたいな分離の表現してるんだなぁとか妙な納得したり。
内なる神も大いなる神も同じだよ。
内も外も無いのだから。
それにやっと気づいた。
それから、多分、空間も幻想なんだろうなという事も何となく分かりつつ在る。
仮想空間みたいなものという意味合いね。
ゲームの世界の中に空間ありますけど、あれ単なる映像ですよね。
その仮想空間にどっぷり入り込んでいる時はその空間は確かにリアルに感じるのだけど、その様に感じているだけで広さというものは存在していないという様な。
夢観ている時の空間みたいなもん。
つまりは、この現実も夢みたいなもんだろうという認識ですな。