好ましい現実化が起きている時に鼓動が高鳴っていた事実は、認識が変化した今も有効なはずだという事で、どういう事なんだろう?と問いかけていたら、不意にイメージがきました。
それは、源(ソース)に波動を発生させる装置様な認識になれば、心臓の負担も最小限で強い波動を発することができるというものでした。
例えはちょっと変かも知れないけど、扇風機みたいな感じというか。
源(ソース)に風を起こす様なね。
実際は、風のような流れを起こすというより、振動を起こす感じだけど。
それだと見かけ上、心臓から湧き出す様な印象になりますよね。
それで心臓からエネルギーが湧き出すという誤解していたのだろうと。
そうじゃなくで循環ポンプみたいなもの。
っていうか、それ心臓の生理的な役割そのものだけど(笑)
血液っだけでなく、源(ソース)のエネルギーの循環も請け負っていたのかと。
喜びの様な鼓動の高鳴る感情が起きた時、好ましい現実化が起きやすいのは、そういうことだったのか!と腑に落ちた感じ。
鼓動の高鳴り無しで、源(ソース)にどっぷり浸かっているだけでも、かなり心地よいし、安心感も感じるのだけど、なんかテンションがいまいち上がりきらなかったんだよね。
源(ソース)は愛そのものなんだけど、愛にどっぷり浸かっている感じだと愛に満ちている感じにはなるけど、愛が溢れ出す感じはあまりない。
そこで心臓という愛のポンプのスロットルを開けると、愛が循環する感じが生じるのかな?と。
見かけ上、心臓から愛が溢れる様に感じるのかも何か納得。
あまり愛に動きがなく愛に満たされているだけでも結構現実は良い感じに動くけど、愛の流れは起きると加速する感じはある。
心臓のことを理解した瞬間から、鼓動が高鳴り、なんかウキウキ感がでてきてる。
鼓動が先で感情は結果なんだなっていうのも、改めて驚く。
また、心臓の役割の認識を変えただけで、鼓動が高鳴るのも驚きでもある。
で、この波動がいわゆるオーラなんだろうなと。