これは割とありがちですよね。
うまく流れ始めるところまでは真我によって到達していたのに、より良くしようっていう欲が出てきた途端にエゴに戻ってしまっているのだなと思った。
より良くしようという一見、向上心にみえる考え方がエゴだったとはね。。
でもよく考えててみれば、より良くしようとしている時点で委ねてないんだよな。
それが盲点だったわ。
本当に巧みなエゴの罠ですね。
私の話で言えば、今から思えば、背後を意識するところまでは本当にエゴも最小限になっていて、謙虚で上手く流れていたのに、そこから欲が出て、よりよくしようとして、なんかおかしな方向にずれてしまって、あの上手く流れていた感覚が戻らなくなって、ずっと足掻いていた様な氣がする。
そして今朝、やっと思い出した感じ。
まあそのお陰で理解出来たこともありますよ。
10年前は、訳も分からず上手く流れていただけでしたからね。
それでも充分なんだろうけど、たぶん、訳が分からずっていうのが嫌だったのだろうね。
それがエゴそのものでもあるけどさ(笑)
背後と「いま」が結びついたことで、やっと分かった感じ。
シンプルで良かったのに、シンプルすぎて、こんな単純な訳がない!っていう思いが出て、色々やりだしておかしくなったのだろう。
左右で現実世界を捉えてみたりね。
あの変から、ずれはじめていった様な氣がする。
巨大な背後を意識するだけで良かったのだなぁ。
後は自然に湧いてくる感覚に委ねる、それだけで良かったのに、その感覚も頭で解釈しようとして、混乱してしまったのかも知れない。
そもそも理屈で理解しようとする事自体が間違いだったな。
背後の感覚が、「いまここ」の感覚だったとはなぁ。。
10年前は訳も分からず「いまここ」に在ったんだと分かった事の衝撃。
でも、それが分かった事はとても大きい。
お陰様で、より良くしようとする氣持ちも消えましたからね。
ありのままって、そういうことかと。
これでOKだったんだ。