身体の一部に意識を合わせることもかなり限定させる事になるのだと氣付いた。
何回目?(笑)
同じことほんまループしている感じがするが、しょうがないね。
意識を合わせるのは「いまここ」であって、身体のパーツでは無いってことなのかもね。
この認識は初めてだと思う。
自分の思考の癖として、どうしても肉体のどこかを意識したがる傾向があるのは理解出来た。
でもそれって、肉体にとらわれ過ぎているって事なのかも知れない。
もちろん肉体をないがしろにして言い訳じゃないのだけど、とらわれ過ぎるのも良くないね。
というか、肉体も神の一部だという事、物質も波動であるという事、すべては意識に生じている波動であるという事。
その観点で肉体を捉えないといけないのだけど、それをやろうとして、何故か、肉体のパーツに意識を向けてしまう癖がでていたと。
そこに氣付けば、違うとらえ方もできそうだ。
意識に生じている波動だから、肉体も意識そのものだという事だね。
肉体のパーツに意識を向けてしまった時点で、波動では無く、固体化されたものとして認識してしまっていたと。
それにパーツに分ける事自体が分離だしな。
肉体も波動だという認識で捉えれば、パーツに意識を合わせるなんてことにはならない。
根本的な発想の転換を求められるね。
これまでに学んできたスピリチュアルとか氣功の修行法の多くの知識が、結構、邪魔になっているのかも知れない。
チャクラがどうたらとか、チャクラは肉体のどの部分に対応しているとか、そういう知識のことな。
真実は、本当にシンプルなのだろう。
初心者の頃は、こういう世界への入り口としては確かに役に立っていたのだろうが、もう今となっては捨てる知識なんだろうね。
肉体どころか、世界も意識に生じている波動であるという事を感覚的に把握する時が来たのだろう。