今朝、いまここにずっと無かったと氣が付いて愕然とした。
第三脳室の例の感覚の時は、もうこれで来るところまで来たと思ったのは大きな間違いだった。
ただの錯覚、勘違い。
いまここに在る為に意識的に何かをしている時点で、いまここから外れているのだと理解した。
余計な知識が本当に邪魔をするのだとも思った。
いまここという表現である事の理由に氣付くことができなかった。
というか、それを理屈で考え過ぎていたのだろう。
そのまま言葉の通り「いまここ」だった。
それだけだった。
元々、いましか存在しないのに、思考であれやこれやとやってることで、自分で作り出している仮想の過去や未来に意識を無理矢理に反らしている感じかも知れないね。
いらんことせずに、あるがままに在れば、いまここに在るだけのことだった。
認識している世界は過去なんだけど、いまはそれに重なっているので、体感的にはいまも空間的に広がっているので、あまり難しく考えずに、素直に感じればいいだけのことだった。