魂を下位に置く事で、かなりスッキリしている。
本当に邪魔だったんだなぁと笑ってしまう。
肉体を天地自然と一体化し、好い感じになってきているのに、魂の位置をどうするのか?とかが出てきて維持出来なかったりしていた。
肉体が天地自然と一体化した時点で、魂が下位の存在だと氣付くべきだった。
魂がエゴだった。
その発想が無かった。
魂がエゴであり、感情思考形態(残留思念体)とでも呼ぶべきエネルギー体なので、一般的にはそれが転生していると思われがちだと思う。
よく、転生の証拠として、過去生の記憶を持つ子供の話とかあるけど、あれは転生ではなく、残留思念体の憑依だと思われる。
通常は、残留思念体はしばらく漂うがしばらくすれば、霊界という名の結界に封じ込められて時間を掛けて浄化されていく。
たいていは、そのまま全部浄化されると思うのだけど、あまりにも想いが強すぎる場合、その自我を維持したまま憑依するのではないかと思われる。
それは転生ではなく憑依だろう。
本来、そこに自然に形成される自我の代わりに、残留思念が乗っ取るということ。
それが過去生の記憶を持つ子供の正体。
憑依も転生というなら、転生なんだけど、私はそれを転生などと呼びたくない。
乗っ取りなんだから。
乗っ取りでは無い転生の概念の考え方について私が思っていること。
人間存在に限らす、全ての個体には固有振動数という氣の波動があるのだけど、氣の波動というのは時空を超えるので、過去や未来に存在する自分と同じ固有振動数の存在と時空を超えて共鳴する。
共鳴することで、過去や未来の自分と同じ固有振動数を持つ存在の記憶や思考、感情を感じる事があるということ。
それが過去生や来生である。
氣のは波動の共鳴なので、いまの自分の固有振動数に変化が起きれば、過去生や来生の対象が変化する事も充分にありえる。
過去も未来も今起きているので、固定化した現実なんて存在しないのだろう。
ただ、別の可能性として、残留思念体を転生させている可能性も否定はできないとは思っている。
これは人類全体の取り決めで、残留思念体を霊界という結界に送りある程度は浄化するが、一定の自己の感覚は残したまま、胎児に憑依させることで、残留思念体の経験値をあげていくという考え方。
生きている内に悟れば転生から解放されるという仏教の考え方に沿う感じですね。
この場合でも、先に肉体が産まれ、後から魂が肉体によって創られたという私の考え方には矛盾はしない。
地球の人類全体の意識の合意があるなら、そのやり方でいけると思うし。
死後の世界の伝承とかは、世界中でかなり似ているのは、そういうことなのかも知れない。
どちらにしても、霊界とか死後の世界というのは、宇宙の本質では無いということ。
この現実世界こそが、本質である。
自分が自分と思っている自分は、肉体に形成された感情思考形態や憑依した残留思念体であるので、それを本質と思ってはいけない。
それはエゴだから。
エゴが悪い訳ではないよ。
エゴを主人と勘違いするのが良くないということ。
肉体の意識を宇宙の意識と一体化し、エゴである魂を使うということ。
エゴである魂の座はどこかと言えば、多分、心臓の発生させる電磁場の様な氣はしている。
思考や感情は脳で生じるのだけど、その思考や感情のエネルギーがその都度昇華されていないと、身体に蓄積されるのだけど、多分、そのエネルギーは心臓に集まって、感情思考形態を形成してエゴとなるのではないか?
そして、その感情思考形態を心ともいう。
その心が半ば自動的に動いて現実世界を創り出す。
現実世界は心の投影というのはそういう事なのだろうと。
まあこれはあくまでも現時点での私の仮説にすぎないので、明日にはまた変わっているかも知れない。