スピリチュアル

2017/1/20

第三脳室と「いま」

「いま」に意識を合わせていると脳の中心部が脈打つ感じになるというのは何度か書いています。 それで、その場所を脳幹だという事で落ち着いていたのですが、やはりそれでは範囲が広すぎる様で。 1回目の時は松果体と思ったけど、そこでもなく、第三脳室ではないかというところに落ち着きました。 要するに脳の中心部にある空洞ですね。 脳髄液に満たされては居ますが、空洞ですから神経細胞とか何も無い場所です。 よくよく考えてみれば、脈打っていたのだから、液体の有る場所と考えた方が自然だったですしね。 液体があるだけですから、そ ...

2017/1/11

よくよく考えてみると、その理屈はおかしいと思った

「いま」を意識していて、脳の中心辺りが脈打つ様な感覚が出て、それは脳幹だろうというところまでは良いのだけど、何故、そこから、「いま」を意識する時は脳幹経由でやるという話に飛躍したのか、今から思うとその理屈はおかしいなと気づいた。 流れが逆ですもんね。 逆必ずしも真ならずという子友も知っているくせにこれだからなぁ。 そういう変な思考の癖があるので、注意が必要だなと思いましたよ。 おかしいと気づくのに3日以上掛かるのもどうかと思ったけど。 でも良く出来たもので、ミスったお陰で気づいた事が結構あったりするから、 ...

2017/1/20

「いま」を意識していたら、やはり脳の中心辺りに意識が集約し拡大する感じ

先日の「いまここ」の時もそうでしたが、「いま」の場合も脳の中心辺りに意識が集約し拡がる感じが出ています。 前の時は松果体という結論になったのだけど、今回は間脳も含めた広義の脳幹で落ち着きそうな感じ。 広義の脳幹の中に松果体も含まれますしね。 何故、松果体に限定せず脳幹まで拡げたかというと、今回は脳の中心辺りで脈打つ感じも出ているからです。 脳幹内部の第三脳室や中脳水道、第四脳室とかを流れている脳髄液とかにも影響出ている感じなので、松果体だけに限定するより広義の脳幹全体として受け止めた方が良いような気がしま ...

2017/1/11

「いまここ」ではなく、「いま」の方が良い様です。

「いまここ」に意識を合わせていたけど、「ここ」がどうも邪魔をしている様な感じなので、「いま」に変更したら、スッキリしました。 昔から「いまここ」という表現がスタンダードになっていたから、それに対して特に疑いもしていなかったので、「いま」だけの方が良いとはなかなか気付けませんでした。 かなり核心に近づいていたと思っていたのに、「ここ」に邪魔をされていたとはね。 「ここ」を意識していることで、エゴがかなり生き延びることができる印象。 エゴの悪あがきといったところでしょうかね。 「いまここ」という表現は多くの書 ...

2017/1/11

現実世界は「結果」だという事を再認識

今朝もまた、寝起きに「いまここ」を意識していたら、「身体は結果」だという概念が湧いてきました。 そこから、身体に限らず、この現実世界は結果だよなぁという事を再認識しました。 現実世界が結果であることは知識としては知っていたけど、理解は出来ていなかった様な感じです。 身体も結果なら、身体も魂の一部というのはどう理解すれば良いのか?と思いました。 そこから理論が展開して、現実世界も魂の一部じゃないのか?という事に飛躍。 そして、魂の一部なんだけど、「結果」として存在しているのが、現実世界なのだろうと。 昨日書 ...

2017/1/11

身体も魂の一部という事

今朝、寝起きで「いまここ」に意識を合わせていたら、不意に「身体も魂の一部」という言葉が湧いてきました。 なにそれ?と思ったのだけど、20年以上前に読んだ「バシャール」の書籍に、そういう感じの内容が書いてあった事を思い出しました。 つまり、魂の物理的現実世界への顕現が身体という事ですよね。 なんか、腑に落ちたというか、そういう事なのかも知れないなと。 これは、魂とのリンク云々という考え方が吹き飛んだ瞬間でした。 身体も魂であるなら、リンクがどうこうっていう考え自体ナンセンスだったという事ですからね。 リンク ...

2017/1/11

新しいモデル

「いまここ」に意識を合わせているのは前提として、魂とのリンクが松果体ではないかという感じに落ち着いているのですが、では、心臓やへそには役割は無いのか?という事に思い巡らせていました。 これまであれだけ重要視していたのに、何の役割も無いというのは考えがたいですからね。 それで思ったのは、松果体が創造エネルギーの入力場所としたら、へそが放出場所ではなかろうかという事でした。 これは以前も考えた事があったけど、いつの間にかうやむやにしてしまったモデルです。 エネルギーの流入量が不足の時は、へそは締めておかないと ...

2017/1/11

「いまここ」を意識していたら、不意に脳の中心部に意識が集約し拡がった。

意識が集約したのは、位置的に松果体だと思います。 脳の簡易イラストの中央の赤い色で表示してある辺りが松果体の場所です。 ここで松果体が出てくるとは思わなかった。 以前も、松果体を意識していた事もあったのに、その時は上手くはまらなかったのは、「いまここ」を意識していなかったからなのだろうというのが、今の印象です。 特定の部位が出てきたので、念のため、過去に候補に挙がっていた、心臓や、へそ、仙骨なども意識してみたけど、それらだと上手くはまらない。 松果体を含む脳幹や間脳という括りで意識してみたけど、それもダメ ...

2017/1/11

魂とのリンクは「いまここ」であるという事らしい

身体のどこかではないという事ですね。 非常に抽象的ですが、古来から「いまここ」という表現はよく使われていました。 「いまここ」というのは、この物理的現実の特定の場所ではありません。 でもこぼ物理的現実視点からすれば、すべての場所でもあるので、魂とのリンクを探る過程では、身体の特定の場所と紐付けておくのも、方便としてはアリだという事なのでしょう。 「いまここ」の認識が変化すると、身体の特定の場所から魂を感じるというのは違うと認識される様です。 「いまここ」という表現は、言い得て妙だなぁと感心しているところで ...

2017/1/11

内側を探ることで、「いまここ」を理解する

現実世界は自分の内面を映し出す鏡なのだから、現実を変えたければ内面を変える必要があります。 それで内観等を行ったりするわけですが、あまり突っ込んで内側とは何なのか?という事について考えていなかった気がしました。 自分の固定観念を探るのももちろん重要で、書き出して捨てる作業等で行ってきていますが、それも内面には違いなのだけど、観念的な内面ではなく、本当の内側ってもっと違うものなのではないのか?と思った訳です。 魂とのリンクを感じるというのはひとつの解ではあったのだけど、これまでやっていたのは、身体の内側にあ ...

2017/1/11

鼓動が先で感情がそれに続く

一般的には感情の変化よって鼓動が高鳴ったりするという解釈をされている人が多いと思います。 でも、実は鼓動の変化が先でそれに応じた感情が生じるというのが事実ではないでしょうか。 心臓が主で脳が従という認識からだとそれが自然な印象です。 感情は結果にすぎません。 引き寄せは感情が行うわけでは無いという記事を以前書きましたが、それも関連しています。 鼓動の変化は魂から流れてくる愛エネルギーの増減に関わっています。 鼓動の変化も単に早いか遅いかだけの話では無く、心地よい感じの鼓動の高鳴りと深いな鼓動の高鳴り等様々 ...

2017/1/11

魂とのリンクを腹部にしておいた方が良い理由について考察してみた

真っ先に思い浮かんだのは、熱量が増えるから頭部でリンクしていると、脳に負荷がかかるということ。 同じ理由で胸部も避けるべきだと思った。 腹部なら多少熱量が増えても大丈夫ですからね。 外界から取り込まれた気に創造エネルギーが加えられられれば上昇する気の流れが出来るから、脳や心臓にもちゃんと気が巡りますし。 上昇気流がテンションを上げることにも繋がりますしね。 頭部でリンクして全身に気を巡らそうとすると、本来上昇するはずの気の流れを無理に下降させないとダメになるという事。 それで気が頭に上りっぱなしになってし ...