スピリチュアル

2017/1/11

認識が変わることでエネルギーレベルも変化する

これは、上がるのも落ちるのもどちらにも言えますよね。 真実に近い方に認識が変わればエネルギーレベルは高まるけど、逆の方に変わるとエネルギーレベルも落ちてしまう。 昨日の私がそうだった。 一昨日の認識だと、相当な量のエネルギーが湧いていた筈なのに、第三脳室から溢れ出すだけに限定してしまいましたからね。 今朝は、また認識が変化したのでエネルギーレベルは高まっています。 上げたり下げたり、また上げたりと本当に忙しい(笑) いまは、身体も含めた現実世界全体から湧き出す感じの認識になっているので、かなり楽です。 第 ...

2017/1/11

第三脳室から溢れる感じになるのも結果である事に氣が付いた

いまここに在ることで、第三脳室辺りに湧き出す感じが出るのは確かなんだけど、だからと言って、いまここに在る為に第三脳室を意識するのは違うということに気が付きました。 前も同じ様な結論になったのに、また同じ事を繰り返していたのは、何だかなぁとは思いますが。 どこか特定の場所に限定したがるのはエゴ視点の考え方ですよねぇ。 「いまここ」はどこでも無いし、全てでもあると自分でも書いているのに、その言葉の意味の理解が浅かった感じ。 意識するなら全てであって、どこでもない何かだということ。 だから、宇宙全体を感じる様な ...

2017/1/11

結果的には、秋頃に探し求めていた源(ソース)とのリンクは見かけ上は第三脳室という事になるのかも

あくまでもエゴから観た見かけ上という事ですけどね。 実際は、全てなんだけど、体感として源(ソース)とのリンク場所は第三脳室という感じになるという事。 それは魂とのリンクでもある。 ただ、「いまここ」を意識する事が前提ではありますが。 「いまここ」無しでも魂のリンクとして意識すればそれなりにエネルギーレベルは高まると思いますが、やはり「いまここに在る」というのは、非常に重要な認識なので、それは外さない方が良いと思われます。 「いまここ」を意識しながら第三脳室を意識する事で源(ソース)との繋がりを感じやすくな ...

2017/1/11

身体の特定の場所を意識するのは違うと思ったけど、第三脳室だけは意識しておくことに

進歩なのか退化なのか、現時点ではなんとも言えませんが(笑) 第三脳室に意識を合わせておくことを追加しただけで、後は「いまここに在る」という事を意識するのは同じです。 感じている世界は極わずかな瞬間とは言え過去ですから、現実世界を感じる事は厳密には「いまここ」ではありませんよね。 でも感じる事ができるのは現実世界だけです。 そこで有と無の話がでてきます。 無を直接把握することはできませんが、有を感じきって、その上で感じられない何かを意識することで、無を意識する事は可能です。 それは、そのまま、過去である認識 ...

2017/1/11

自分を愛で満たそうとする事そのものが分離だったという

自分を愛するために源(ソース)と繋がり、創造エネルギーである愛で自分を満たそうとする事もエゴの領域なんだなぁと気が付いた。 愛で溢れた存在に為る事がエゴとはどういうことだ?と思うかも知れませんが。 自分を愛で満たすという事は、自分と愛は別のものだという認識が前提にある訳です。 その時点で分離ですからね。 それすらエゴ視点の考えだったのかと、衝撃を受けてしまった。 スピリチュアル的な視点であれこれやっている事さえ、実はエゴ視点の産物の事が多い。 ちょっと前の私で言えば、魂とのリンク云々、源(ソース)とのリン ...

2017/1/11

認識の修正が続いている

以前、エゴが全盛だった頃に気づいた認識が、結構、間違っている事に、いま気付き始めていて認識の修正をしているところです。 当時、これは凄い!って思って、ずっとそれを前提にやってきた意識の持ち方が、今から思うと間違っているなんてことがあって衝撃を受けたり(笑) その認識になってから、気が虚しやすくなっていたことに、今更ながら気づいた。 身体の周囲の気を押しのけて、身体に必要な気を充分に廻せないような意識状態になっていたという。 それをやめただけで、また気が上昇した。 よくこんなやり方で、ヒーリングを行いつつ、 ...

2017/1/11

人の意識と神の意識は同一のものみたいだね

今朝、起き抜けに「いま」に意識を合わせていたら、急に来た感じ。 人の意識と神の意識は次元が違うもので、それを繋がる為に色々やっていると疑いも無く思っていたけど、人の意識と神の意識は全く同じものだぞ?という感覚が来たというか、何というか。 そして意識が源(ソース)そのものなのだろうなと。 意識は全てに遍く存在しているので、身体の内側に限定されてはいないということ。 ここでいう意識というのは、思考とは違いますからね。 エゴというのは、自分が思考の連なりだと思っている状態の自己なので、意識とは若干違います。 こ ...

2017/1/11

コアスターにとらわれるとコアスターは感じられなくなるらしい

これは私の心の悪い癖なんだけど、「いま」に意識を合わせる事でコアスターらしき何かを感じられるようになったら、ついコアスターを感じ様としてしまっていたことに気が付きました。 結果としてコアスターを感じられなくなってしまいそうになったという。 大事な事は「いま」に意識を合わせ続けることなんだと再認識。 「いまに在る」結果として、コアスターが現れるのであって、コアスターを意識するからコアスターが現れる訳では無いという事。 これを肝に銘じないとね。 コアスターが現れるという表現も違うのかも。 「いまに在る」ことで ...

2017/1/11

再びコアスターの概念が浮上

約1ヶ月前にへその上3~4センチ上の辺りに感じるポイントの事を書きました。 それがコアスターと呼ばれる何かであることも。 あの後、「いま」に意識を合わせる事に入り始めて、源(ソース)や魂とのリンクの場所については放置していたのだけど、ここに来て「いま」に意識を合わせている事で、身体の3カ所から気が湧き出している様な感じになっている事は書きました。 その状態から更に深度が深まると、やはりコアスターの部分が脈打ち始めました。 もう無視はできませんよね、これは。 コアスターと源(ソース)はほぼ同義だと思います。 ...

2017/1/11

第三脳室、心臓、仙骨と「いま」

「いま」に意識を合わせ続けていたら、第三脳室辺りから気が湧き出す感じになっているという話は少し前に書きました。 その後、心臓、仙骨辺りからも気が湧き出す感じが出てきています。 「いま」になる前に、魂とのリンク場所をああでもないこうでもないとやってましたけど、これに繋がっていたのかなと。 ただし、逆必ずしも真ならずだった。 「いま」に取り組む前の間違いは、その場所から源(ソース)や魂を把握しようとしていた事だと分かりました。 「いま」に意識を合わせた結果、第三脳室、心臓、仙骨辺りから気が湧き出す感じになると ...

2017/1/11

「いま」しか存在しないという事らしい

過去や未来というのは、記憶と想像にあるだけで、それらは実存ではないという。 だから、いまこの瞬間に意識を合わせないと、人間本来の力を使う事は不可能になる。 「いま」に何かがあるという事では無く、「いま」しか存在していないのだから、過去や未来を意識していたら記憶と想像にアクセスするだけだから、本当の力を引き出せるはずもなく。 ここ最近、源(ソース)や魂とのリンクする場所はどこだろうとごちゃごちゃやってたけど、場所を探していた時点で間違っていたのだと理解した。 場所じゃなく、「いま」に意識を合わせる事が、源( ...

2017/1/11

五感は極わずかの過去を感じる事だけど、氣の感覚は「いま」ということ

この辺が、いまいち整理出来ていなかった様です。 私にとって、気の感覚はあまりにもナチュラルな感覚で、五感と同じ様なものだったので、気の感覚も五感と同様に極わずか過去の感覚だと無意識に受け止めていたらしい。 気の感覚は「いま」なのは分かっていた事なのに、変な刷り込みが起きていたという事です。 その刷り込みは、日常生活にはさほど影響は無かったのだけど、現実化とかヒーリングの足を引っ張っていた可能性はありますね。 この刷り込みだと、人や物の気配(気の波動)は、それぞれの人や物から出ているという事になります。 見 ...