現実は気の波動の共鳴によって引き寄せられるという表現がよく使われているけど、厳密には引き寄せる訳じゃないという事。
潜在的に全ての可能性が既に存在しているのだけど、それが氣の波動の共鳴によって、自身が発する波動に応じた現実が具現化するという表現の方が近いと思う。
既にすべての可能性が潜在的に存在しているというのがミソではある。
不安の波動を発すれば、不安の波動に応じた現実が具現化するし、ワクワクの波動を発すれば、ワクワク波動に応じた現実が具現化する。
発する波動がランダムならば、ランダムな現実が具現化するという事だろう。
まあ、見かけ上は引き寄せという表現でも同じ様な事だけど、引っ張るわけじゃないのだと言うこと。
音叉の共鳴と同じで、出した周波数と同じ音叉が鳴り出す様に、心臓の発する周波数に共鳴する現実が具現化するという解釈ね。
だから、ずっと良い氣分でいれば良いだけなんだという事。
良い氣分でいれば良い現実が引き寄せられるという事はこれまでも書いてきたけど、ニュアンスが微妙に変化した感じか。
既にある全ての可能性のなかから波動で選択して具現化する様な感じだね。
強いワクワク感とか感謝がほんとうに大切だと言うこと。
それが在り方って事なんだし。
意志とか目標とか行動とかそんなの関係無くて、在り方次第なんだよね。
その為には、なんとかしようとするのを止めて、委ねる事が重要になる。