いつも間にか背後を意識することを放置していたことに氣付いた。
空間認識の修正のみ背後を使っていた感じで。
私の原点は、感謝と背後っていうくらい重要なはずだったのにね。
ただこの背後の感覚って、説明はしづらいし、自分でも単なる後方の状態を感じるだけの状態になってしまうこともある感覚でもある。
それでないがしろにしてしまう事が多々在るのだけど。
この背後の感覚は、物理的現実世界の内側の感覚でもあるのだけど、肉体感覚的に内側を感じると肉体の内部だけの感覚になってしまうのだけど、それを背後にシフトすると広大な内側の世界を感じられる様な感じというか。
久しぶりに背後を感じた瞬間は、それを感じられるのに、ずっとやっていると訳が分からなくなってきて、単なる後方の感覚になってしまいガチなので、維持するのは確かに難しいのかも知れない。
それでも背後を感じる様にしていた方が良いのに、忘れるという。
背後が「いまここ」の感覚の入り口なんだろうね。
それは霊的現実世界でもある。
エネルギー体が存在するのは霊的次元だから、背後を意識してないと、エネルギー体も感じられないと思う。