神の座が第三脳室で、神の愛が溢れ出すのが側脳室か

2017年1月6日


源(ソース)という表現を神に戻すことにしてから、認識がまた変化してきました。
全てが神なので神の座が第三脳室というのも、ちょっと語弊はあるかも知れないけど、神のエネルギー流れが起きる場所という様なニュアンスで受け止めて頂ければ。
そして、第三脳室から湧き出した神のエネルギーが側脳室の先端から外界に湧き出す様なイメージが来ました。

音叉の又の部分が第三脳室でエネルギーの湧き出すのがそこで、共鳴させる部分が左右の側脳室という様なイメージですね。
そして共鳴板である側脳室で強化された波動は、下端である脊髄の先端からも開放されるという認識。

それにしても、源(ソース)という言葉を神という言葉に置き換えただけでこんなに波動が変化するのは驚きでした。
今朝も書いたけど、自分の中では源(ソース)と神は同じ概念だったはずなのに、ここまで差があるのがね。。

多分、神という言葉は定義はともかくとして、一般的に浸透している創造主等を示す言葉であるのに対して、源(ソース)という言葉は極限られた人達が使っているだけの言葉で、千つめ意志無いと意味すら分からない言葉であるという差が、力の差に結びついているのかも知れない。
私が、源(ソース)という表現を使い出したのは、ザ・シフトという書籍を読んでからです。
内容的に素晴らしかったので、そのまま源(ソース)という表現にいつのまにか置き換える様なになった感じだったのかも知れない。
今から思うとね。

神という言葉を使わなくなってしまうきっかけという意味では、結果的に良くない影響を受けたとも言えるけど、それ以外の内容はとても参考になる書籍でもあります。

まあでも、置き換えたのも役には立っているのかも知れないとは思います。
「全ては源(ソース)であるので私も源(ソース)そのものである」というのは比較的簡単に受け入れられるけど、「全ては神であるので私も神そのものである」というのはなかなか受け入れられないですからね。
ところが、ずっと私は源(ソース)そのものであるという事を刷り込んだ後、源(ソース)を神に置き換えると、すんなり「私も神そのものである」という言葉が受け入れられるという不思議(笑)

人間1人1人が神なんだよなぁというのを当たり前のこととして受け入れられる感じです。
まさに人は神の化身であるという事か。

以前から「人は神の化身である」という言葉を知っていたけど、全然受け入れられなかったのに、言葉を置き換えて受け入れてから再度置き換えるとすんなり受け入れられるというのは興味深い現象です。
私だけかも知れませんがね(笑)

まさかの展開に自分自身も驚いています。
人間1人1人が神であるということを、改めて認識したのは大きいですね。

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