一晩明けて目が覚めたら、こんな結論になっていた(笑)
昨日、何気なく追加で書いた雑感の最後の内容がその通りになってきた感じで。
結局、からだのどこかのパーツでリンクするという考えそのものが思い込みだし、それが制限になっていたのかも知れない。
というか、身体をパーツ分けして捉える事自体が分離の思想なのかもなぁとも思いました。
全ては一体であると自分でも書いているのに、この有様ですからね。
染みついた分離の思想は、それが分離の思想である事にすら気付けない程にナチュラルに物事を考える前提に入り込んでいるという事か。
神経叢で魂とリンクするのなら、全身に張り巡らされている末梢神経だって神経の網なんだから、全身の神経網でリンクでいいんじゃ?というのが寝起きに空いてきた思考なんだけど、その神経網でリンクするという考え自体が、身体から神経網を分離して捉えているのだよなぁと。
生体電磁場まで含めて身体なんだし、取りあえず全身の生体電磁場で魂とリンクすれば良いのではないか?という事に寝床で落ち着いた訳です。
それだけで相当エネルギーレベルが高まりました。
特定の部位から気が湧き出すのではなく、全身の生体電磁場から湧き出してくる訳ですからね。
特定の部位が複数だったとしても、全身から湧き出す事に比較すれば、エネルギー量の桁が違いますわな。
すべては源(ソース)のエネルギーの海のさざ波の様なものだったよな。
本来、世界と身体も分離してない訳です。
とは言え、取りあえず身体を一体として魂とリンクするところまでやるだけでもずいぶん違います。
いずれは世界とも一体として魂とリンクする体感を得られる様になれるのかも知れませんが、今朝の段階では全身でリンクするところまでが限界ですね。
いずれ更に制限を外せるような気もしますが。
それはさておき、全身の全てで魂とリンクできるのだから、どこの部位でも魂とリンクできるのは当然だったと腑に落ちた感じ。
何の事は無い、特定の部位で魂とリンクするために、自分で極度の制限をかけていただけですやん。
本来、全身でリンクできるのに、心臓だけに制限してみたり、脳幹だけに制限してみたり、仙骨だけに制限してみたり、承知用だけに制限してみたり、神経叢だけに制限してみたりする。
でもまあ、魂とリンクしてない状況から、制限されていたとしても特定の部位でリンクすれば、それだけで凄いエネルギーが湧いてくるから、魂とのリンクはここだった!となる気持ちも分かります。
つい昨日までの私もそうだったし。
特定の部位1カ所から3カ所に増えただけでもすげぇって興奮していたからな(笑)
それが昨日は7カ所まで増えてきて、アレ?ってなったという。