また、かなり認識が変化してきています。
自分自身を俯瞰で捉える様になって、色々氣付いた事があります。
普遍的な意識の中に世界があって、その中に身体があるという認識になったのは書きました。
その普遍的な意識は神の意識そのものの様な氣がします。
その中に個別化した神、すなわち超意識のエネルギーがあります。
超意識は真の自己という位置づけになるのでしょうかね。
それがいわゆるオーラでもある。
オーラは身体から出ているエネルギーなのではなく、オーラが先に在り、その中に身体が生じているというのが真実だと思う。
顕在意識や潜在意識は身体の意識なんだけど、その大元は普遍的な意識だし、本来は意識に区別は無いという事。
でもこの現実世界においてはエゴのバイアスがかかって、顕在意識や潜在意識が生じているという感じか。
超意識は神の意識とダイレクトに繋がっているから、普遍的な神の意識との明確な区分けはないと思われます。
超意識の象徴がこの太陽系の太陽だという認識は変わっていません。
真の自己である超意識も、太陽の様に輝いています。
そして、見かけ上は、その太陽の様な輝きの中に身体があるという事。
またその輝いている超意識のエネルギーは、トーラス状の形をしていると思われます。
トーラス状にも段階があって、ドーナツ状に近いものから、球状に近いリンゴの果実の様な感じまでありますが、たぶん超意識の形状は球状に近い方でしょうね。
「トーラス構造」で画像を検索して頂くとイメージしやすい画像が出てきますので参照して下さい。
何にしても、トーラス状のエネルギー体が私達の本体という事です。
俯瞰の立ち位置になると、トーラス状のエネルギー体である本体に自己の意識が在る感じになります。
その立ち位置はエゴを含めた身体を観察している立ち位置ですね。
その立ち位置で、「いまここ」を意識すると、これまでと全く違った感覚になりました。
「いま」は、空間を生じさせているゼロポイントって感じだと思いました。
それは空間に属しているものでなく、空間を生じさせている何かなので、大きさとかは意味がないのだけど、宇宙全体と同じ大きさの様な感じかも知れない。
ある意味では、空間の外側であり内側の様な感覚でもある。
空間そのものを感じるのではなく、その根源を感じる様な感覚ですね。
先にも述べました様に体感的には宇宙全体並みに大きい様な感じもある。
でも大きさは関係無い何か。
それが「いま」。
「ここ」は、その「いま」の中心に在る自己という感じか。
個別化した神である超意識辺りを「ここ」という感じ方で良さそうな気もします。
全体と個を絶妙なバランスで感じるのが「いまここ」という感覚なのかも知れない。
そのバランスを取るには、俯瞰の立ち位置は外せないでしょうね。
エゴにフォーカスし過ぎていたら、「いま」の感覚も分からないと思う。
意識の中に世界や身体があるという認識も出てこない。
それから、この体感になってくると、超意識と身体のリンクは心臓だという感覚も出てきた。
そうすると、脳幹は超意識じゃなくって潜在意識で、小脳が個人レベルの無意識の座に落ち着く。
またそこに戻るのか(笑)
臓器の中の太陽は心臓というのが、しっくりくるもんなぁ、やっぱり。