人間万事塞翁が馬
人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)という諺があります。
人生何が幸いし何が災いするかなんて分からないので、目先の事に一喜一憂するのをやめて、大いなる流れに委ねましょうっていう感じの事ですね。
目先の事にとらわれて一喜一憂して振り回されていると、大局を見失い、やることなすこと裏目に出るようなことになりかねません。
為るように為る
そうではなく、「為るように為る」のが一番良いことかも知れないと受け止め、現実に抵抗するのを止めて、悠然とした氣持ちで、その都度やることをやっていれば、案外、上手く流れていくものです。
どん底から這い上がった人達の話を聞くと、「為るように為る」と足掻くのを止めて開き直って、力が抜けたら、状況が変わり浮上に転じたという事が多いものです。
「為るように為る」と開き直るというのも、委ねる感覚に近い精神状態です。
これは自暴自棄とは違いますので、混同しないようにお願いします。
自我レベルの目標を捨て、大いなる宇宙の力に身を委ねる感じですね。
どうにかしようとしたって自我レベルの意志ではどうにもならないことというのは沢山あります。
天命に沿った願望であれば、それは自我レベルの目標とは違うので、委ねることで自ずと上手く流れていくものです。
自分の目標が現実化の邪魔をしてしまっているという事なのでしょう。
「なんとかしなきゃ!」とか「どうにかしなきゃ!」という想いがある時点で、それが世の中の為になる高尚な目標だったとしても、自我レベルの願望なんですよね。
願望そのものが悪い訳ではないのですが、願望を願望のまま持ち続けると、現実の流れと上手く噛み合わなくなるというのはあると思います。
願望は行動のきっかけになるので、願望が湧いてくる事は良いのです。
問題になってくるのは、その願望に執着する事ですからね。
願望が何であるか?、ではなく、それをどう受け止めてるか?の問題になるのでしょう。
水を飲みたいという願望が湧いてきたら、単に水を飲むだけの事ですよね?
人生の願望も同じ様な感覚で、願望にそってやることをやるだけです。
結果に執着する必要もありません。
ヒーリングの場合
例えば、氣功ヒーリングでは、癒そうという想いが強すぎても上手くいきません。
相手と繋がって、あるがままを受け入れ委ねる様な心持ちなることで、ヒーリングが上手くいきます。
ヒーラーが癒すというより、ヒーリングが起きるという感じになります。
癒すという想いそのものが癒しを妨げるという、なかなか厄介な状況ですが、それを理解しているかどうかで、結果が変わってくるのです。