世界は心の中にある


現実世界は心の投影という表現は様々な場面で耳にしたり目にしたりしますよね。
心の投影なのだから、誰かのせいにはできないという事でもあります。
すべては自分の内面を映し出しているに過ぎないという事。

ただ投影という表現によって、自分の身体のどこかにある心から外の世界に投射しているようなイメージを持たれる人も多いかも知れません。
私もその1人でした。
それだと、心と現実がリンクしていることは表現できるのだけど、心と現実世界は別のものの様な認識になりますよね。
でも、どうやらそうではない様な気がして来ました。

現実世界は心の中にあるのではないか?という感覚が凄く強まってきています。
心は心臓とリンクしているので、体感としては心臓の内側に虚空があり、そこに世界が在る様な感覚が結構でています。
心臓の内側の虚空にあるのだけど、身体の外側にもある様に感じるという不思議な感覚ですね。

これは以前かいた記事の中で、心の中に身体があるという表現をしていますが、それに類する認識でもあります。
心の中に身体があるだけではなく、現実世界が心の中にあるという事になります。

脳幹とか仙骨の時でも、これと同様の感覚になってはいたのだけど、心臓を意識する事で、この感覚が更に強まりました。
「いまここ」というゼロポイントは心臓という事なのでしょう。
私は何故か、ずっとゼロポイントを脳幹辺りに設定していることが多く、偶に仙骨、心臓に設定してみては、また脳幹に戻すというのを繰り返してきました。
どうしても脳に対するとらわれが消えなかったんですよね。
頭で考えていたからそうなるのも当然だったのでしょう。

ゼロポイントの場所の認識がずれていると、現実世界とのシンクロ率も下がるのだと思います。
脳幹とか仙骨をゼロポイントに設定している時は、そこそこシンクロしているというレベルでしたし。
そこそこじゃなく、完璧にシンクロ状態に持っていく為には、心臓にゼロポイントを設定する必要があるのだと思います。

呼吸を意識しながら、心臓に意識を合わせておくだけでも、かなり安心感が出てきます。
単なる血液を循環させる為のポンプではない愛の溢れ出すゼロポイントがそこにあるからなのでしょう。

それにしても、よくもまあ、これほどのエネルギーに今まで気付かなかったんだかね(笑)
何度も心臓を意識していたのにね。

その時って、脳幹とか仙骨から取り込んだ気を心臓から流すという様なイメージが強かったからかなぁとは想っています。
でも、心臓が主だった時もあったのに、そのときは他のとらわれが強かったから、制限されていたのだろうか。

ちょっと思い出したのは、いけいけどんどんだった数年前は、認識している世界の中心を心臓においていたなぁという事。
若干、今の感覚とニュアンスは違うけど、世界の中心を心臓に置いていた事によって、近い状態を知らずに作り出していたっていうのはあるかも知れないね。
現実世界とのシンクロ率は高かったと思う。

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