いまここを意識しはじめて、宇宙をあまり意識しなくなっていた事に氣が付きました。
それはダメだろうって感じですよね。。
すごく自分の範囲が狭くなっていたという。
宇宙を意識したら、一氣に拡がりが増しました。
宇宙を意識してこその「いまここ」なのになぁ。
なんというか、何か新しい事をやりだすと、他が疎かになる傾向があるのがなぁ。
宇宙と「いまここ」を同時に認識する感覚っていうのが希薄だったのだろうな。
というか、それが結びついてなかったから、「いまここ」を意識し出したら宇宙を意識出来なくなってしまったのだろうね。
かろうじて背後を意識していたことで、なんとか宇宙の一部を意識はしていた事になっていたみたいではあるけど、宇宙を意識し始めたら背後だけでも相当狭いと氣が付きましたよ。
宇宙を意識していたら、背後も必要なかった感じ。
とは言え、空間認識が前に偏っている場合は背後を意識して前後軸の修正はしておく必要はあるのですが、それが修正できていたら、背後を意識するより宇宙を意識した方がいいです。
ただし、宇宙は、全方向に拡がっている事を忘れてはいけないですが。
どうしても、上方向ばかり意識する人多いですからね。
そうじゃなくて、前後左右、そして大地の反対側にもウチュが拡がっているという認識で、宇宙を感じないと、背後だけを感じているのが、上に変化しただけの狭い範囲の宇宙のままになってしまいます。
そういう感じで宇宙を意識して、「いまここ」に意識を合わせる感じでしょうね。
そうすると体感も全然違ってきます。
宇宙を意識しないと、「いまここ」に意識を合わせても、源(ソース)は感じられないのだろうな。
源(ソース)を「感じる」というのは語弊がありますけどね。
厳密には感じられない何かなので。
源(ソース)そのものは感じられないのだけど、源(ソース)と繋がった時の体感とか感覚というのはあるので、その事と理解して下さい。
他の表現では「別の領域」という言い方をされている人もいますね。
古来から言われている、「無」や「空」って表現も、多分、それ。
「いまここ」が無ではないのだけど、宇宙を意識しつつ、「いまここ」に意識を合わせないと、無を体感することはできないという事なんだと思います。
そして、ここ一年ほど私は、「宇宙を意識すること」が抜けて居たという。
氣付けて良かった。