こんどこそ!と思いながら、ドンドン変化が進み、一昨日くらいに新しい感覚に到達した。
過去にも使っていた場所を改めて使っているのだけど、認識が変わったことで、使い方も変わったというか、とらえ方が変わったというか。
その場所は、第三脳室。
第三脳室がゲートのような感覚というか、第三脳室を感じることで、そこに「いま」を感じるというか、超時空を
感じるというか、神を感じるというか、根源の氣を感じるというか。
感じるというのも本当は違っていて、それが真の自己という立ち位置に在り、自分が創造した世界を身体を通して感じ体験しているという様な感覚。
身体の自己で在る自我は完全受け身の様な感覚。
身体から氣を出す事もしない。
身体は氣を吸うのみ。
真の自己の意図によって現実を創造している感じというかね。
それは宇宙に遍く存在する意識でもあるのかも知れないが、その宇宙は、この現実だけでは無く、全ての可能性や過去や未来も含んだ全てである様な感覚。
まあ、特異点が第三脳室って事なのだろう。
夢を見ている時のアレと似た様な。
世界も自分の中に在るって奴。
フォーカスしている身体の自己の感覚も在るけど、舞台や他者も自分であるというアレね。
身体の感覚もありつつ、世界が自分だと理解出来ているので、世界に遍く存在している真の自己の意識である私が世界の影の「いま」で考えたり想像したりしている感じ。
ゲートを感じる瞬間までは、身体が自己の立ち位置だったのが、ゲートで宇宙を感じたら、宇宙を生み出している何かが自己の立ち位置になった感じ。
時間や空間の大元なので、大きくも小さくも無い。
体感的には第三脳室の内側なんだけど、そこは宇宙より広くもあるともいえそう。
だから超時空って感覚になるのだけど、全てであり全てでないとか、そんな感じでもあるのかも。
それは根源の氣でもある。
世界は根源の氣に生じている波動にすぎないので、全てはひとつでもある。
原子の隙間とかそんな感覚もあったけど、その感覚も含まれている。
身体は創造をしないという事は言える。
創造するのは普遍的な意識である私。
そして私の意識の中に他者も在るので、他者の意識も自分の意識という事だ。
これって、なかなか理解出来ない感覚だと思うけど、おもしろい感覚だよ。