地表から上が天という認識に変化して、しばらく経ち、空間の認識としてはそれで良さそうだと感じています。
ただ何かが足りてない。
それは時の要素。
そこで浮上してくるのが、背後の感覚。
認識している空間は過去で、背後の感覚が今なのかも知れない。
とは言え、この背後の感覚というのは特殊で、単純に空間的な背後を意識するのとは違っている。
でも言葉で説明するのは難しい感覚。
背後を意識するのだけど、それは全体にも重なっている感覚とでも表現するのが良いのか。
本質が背後にある。
背後から身体や空間を感じているというか。
背後なんだけど全体である。
そしてその背後の内に世界とか空間がある感じ?
で、背後は真の自己。
無の内側に世界があるけど、物質を生じさせている何かでもあるので、ある意味では世界の内側でもある。
内側って言うより世界の波動を生じさせている何かだから、外側でもあり内側でもあるという感じか。
背後が「無」ということでもあるのかな。
無が創造そのもので、有は被創造物であると。
天や地の氣も被創造物だということ。
それは普遍的な意識でもあるのだろう。
そして意識に生じた波動によって世界が創造されるということか。
その創造は想像によってもたらされるらしい。
言葉は脳による思考だけど、想像は思考ではないという事なのだろう。
という事は、想像するなら背後にアクセスはしておいた方が良さそうな。