感じている外界はすべて過去である


感じている外界はすべて過去で在るというのは、記事でも書いたことあるのだけど、なかなかそれはピンときにくい面はある。

観ているものは反射している光であるから、目の前の物に反射した光が目に届いて、それを脳が解釈するまでのタイムラグがあるので、極々僅かではあるが過去の映像を観ている訳です。
つまり、いまこの瞬間というのは、認識することは不可能であるということ。
その理屈は分かるのではないかと思いますし、納得もできますよね。

問題は、では「いま」って何だ?という事です。
少なくとも「いま」を感じることは不可能ですよね。
にも関わらず、「いまここ」に在る事が大切であると、古来から覚者は言う。

認識できないという事は、即ち「無」とか「空」という事でもある。
つまり、「いま」と「無」や「空」という概念は同じ事を示していると思われる。

そこまでは理論的にも理解できるのだろうけど、その先の「いまここ」に在るという状態には理屈では到達できない。
なにせ、認識できない対象に「在る」というのは、もう理解を超えているから。
それはもう、不意に体感するしかない在り方。

理解出来ないことを理屈で考えても無駄なので、思考を放棄する必要がある訳です。
何も考えず、あるがままに身を委ね、ただただ「自分」を明け渡す。
そうすると、不意にそれはやってくる。

理屈では説明出来ないことだから、「いまここ」とか、「無」や「空」とは何かということを、文章で表現する事など不可能だし。
だから、ピンと来にくい。

でもまあ、もうちょっと頑張ってみる。
物質というのは、固定化された何かではなく、むしろ現象と呼んだ方がいいものです。
肉体も含めて、現象なんですよね。
まあ、強引に表現すれば、高エネルギーの海のさざ波の様なものというのが理解しやすいイメージかも知れない。

よく波動と言われる事が多いけれども、氣の波動だけではなく、物質ですら波動なんだという事です。
その波動が起きる媒介が根源の氣と呼んでいるものなんだけど、それは、「無」や「空」と同義かも知れない。
で、全ては根源の氣に生じている波動なのだから、元からすべてはひとつであるというのも何となく理解できるのではないでしょうか。
時間や空間ですら、氣の波動の性質に過ぎないと思われます。
この辺りもピンときにくいけども。

無や空というのは、創造そのものなのかも知れない。
それはいま起こっている。
空に生じた波動が認識出来る現実となる。
それは常に現象化が起こっているという事。

そして先にも述べた様に、認識できるのは、生じた波動のみであり、それは過去の映像であるということ。
物質だけで無く、精神も波動だから、精神も肉体も、根源の氣に生じている波動という意味で一体であるという事。
「自分」も世界もひとつであると言うこと。
即ち他者なぞ存在しないという事。

元から全てと繋がっているというのは、そういう事でもある。
人も神の一部という表現があるが、それはこの事実からも理解出来ると思う。

自分と思っているエゴですら、神とひとつであるという事。

言葉で説明出来るのはこの辺くらいまでかなぁ。

取りあえず、元からすべてとひとつなんだと理解できれば、それだけで氣は湧き出す。
湧き出すという表現すらおかしいのだけど、本当は。
エネルギーそのものなんだからさ。

単に自分でエネルギーが無い設定にして、オタオタしているだけ。

だから、悟りとか覚醒とか氣付きっていうんだろうね。
元からそうだったと氣付くだけなんだから。

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