すべての基点は心臓だったなぁと思い出した感じ。
なんで忘れてしまっていたのだろう。。
神の座とか魂の座的なものは心臓っていうのは、自然な感覚なのにね。
思い出させないようにエゴが頑張っていたっていうのはあると思いますけれども。
なぜ、ここまで脳や仙骨にとらわれる様になっていたのか。
いや、脳と仙骨も大事なんだけどさ。
知識を増やし過ぎて、それに振り回されていたのだろうか。
知識では真理に到達できないって気付いてからは、あまり知識は取り入れない様には気を付けていたけど、それ以前にその類の書籍等を読みあさっていたからなぁ。。
その知識も捨てないとダメだという事なんだろうね。
エゴのいいおもちゃだもんなぁ。。
結果的に、今の感覚と同じことを書いてある書籍にも当たっているのだけど、それと矛盾する内容の書籍も大量に読んでいたから、訳が分からなくなっていたんだろう。
それで自分で見つけようとして「考えていた」からダメだったのでしょうね。
それについて考えるのを止めるたら直ぐにインスピレーションが来るという皮肉。
現実化とかでも、諦めたら叶うというのはそういう事なんだろうね。
願望にしがみついているから叶わない。
なるようになるって思うと、すんなり叶っていくという。
なるようになるって心境になっているなら、アファメーションもやっぱやらないよねぇとか思ったりもしますが(笑)
なので、またアファメーションはやめようかな。
心臓って気付いてから、気分は「幸せだなぁ。ありがたいなぁ。」って感じに自然になっている。
というか、これアファメーションとか唱える言葉に使えそうだよね(笑)
「ありがとう」を唱えるより、「ありがたいなぁ」って唱えた方が良さそうな気もしてきているが。
とは言え、この心境になったのは、「私はなんて幸せなんだろう」のアファメーションを短期間とは言えやってたからってのはあるだろうね。
そういう意味では、このアファメーションはやっぱり凄いという事は言えるのかも知れない。
「幸せだなぁ、ありがたいなぁ」っていう心境になったら、切り替えれば良いだけですもんね。
それはさておき、心臓は身体における太陽の様なものだというのも納得出来たし。
脳が地球って感じか。
生命は地球にあるにしても、太陽あっての地球の環境だからね。
主が太陽で従が地球って感じかね。
即ち、心臓あっての脳。
自我という自分は脳にあるとしてもね。
昨年の秋頃に、心臓が主で脳が従って納得してた筈なのに、それを見失っていたのも失敗でしたね。
エゴの抵抗って凄いね。
びっくりするわ、本当に。
まあ、今頃何を言っているんだって気は凄くある(笑)
要するにこれまでは、脳や仙骨が基点でヒーリングをやってたって事だもんなぁ。
気功師って割とそういう気の使い方の人多いしね。
気の鍛錬自体、エゴで潜在意識をコントロールするという方向性の手法だしさ。
入り口が気功だったから、こういう方向に流れてきたというのはあるだろうな。
それでもやってこれたけど、心臓基点でやることに比べたらやっぱい弱いと思います。
気功は力のヒーリングって感じか。
心臓基点だと委ねる感じの愛のヒーリングに変化しますよね。
だいぶ前から、委ねる感じの愛のヒーリングの方に移行してきてはいたけど、気功の感じを完全は捨て切れていませんでした。
それを捨てるという事になりそうです。
でも気の波動を用いてヒーリングを行うことには違いないので気功師という事でそのまま行きます(笑)