相手の氣持ちの逃げ道は残しておくこと
相手が間違ったことをしていて、それを窘めるにしても、正論で追い詰めてしまう程やり過ぎると、相手は逃げ場を無くして、感情が爆発することが多いものです。
人間は感情の生き物ですから、理屈では分かっても、感情が暴れると制御できなくなります。
単純に暴力的な行動に出る場合もあれば、反社会的な行動、モラルに反する行動に出ることもあるでしょう。
ですから、窘める場合でも、ある程度の逃げ道というか、立つ瀬を残しておいた方が、トータルで観ると有益な事が多いです。
例え正論だからと言っても、相手を追い詰めるのは、その場では良くても、後々具合が悪いことが起きる可能性が高くなります。
追い詰めている事に氣付いてないことも多い
追い詰めている側は、自分が正しいと思っているので、自分が相手を追い詰めていることに氣付かないものです。
相手が悪くて、自分が正しいのであれば、正論で窘める事そのものは悪い事ではありませんし、それで逆ギレする方に問題があるのは確かです。
ただ先にも述べた様に、人間は感情の生き物なので、理屈通りにはいかないものです。
ですから、どうすれば上手く窘める事が出来るかという視点が必要になります。
正論に対して反論してきた場合、頭ごなしに抑えつけるのではなく、一定の理解を示すことで感情的な逃げ道を与える事も必要になるでしょう。
それは甘やかしているのとは違いますからね。
間違った事をしている相手を窘める時にまで、相手に氣を使うのは馬鹿馬鹿しいと思うのも、確かにその通りなのですが、そこは「器の大きい人間」になって頂き、相手がある程度納得出来るように窘める事が出来れば、それは社会にとっても良いことです。
納得すれば、もう同じ事はしませんからね。
納得してないと、その場では止めるけど、しばらくしたらまた同じことを始めます。
追い詰めた結果、相手が犯罪行為に走ることもある
それだけならまだマシで、追い詰めた結果、追い詰められた相手が、放火や通り魔などの様な犯罪を起こし、関係無い人を巻き込むという様な最悪の事態になったら、追い詰めた側も相当な罪悪感を背負う事になりますから。
もちろん犯罪行為に走った人間が一番悪いのですが、その人がそこまで追い詰め無ければ、犯罪被害者は出なかった訳です。
ルール違反やマナー違反の事で窘めていて、相手を追い詰めることで犯罪者を育ててしまったなら、追い詰めた人も罪人ですよ。
モラルやマナーを守れない様な程度の低い人間を煽ったらどうなるかも想像できなかったという無知の罪というところでしょうか。
事故を起こし他人を巻き込む可能性が高くなる
事件を起こすのは極端な例ですが、それより可能性が高いのは、追い詰められて苛ついた精神状態で車を運転していたら、相当荒い運転になり、事故を起こして他人を巻き込む事です。
この場合、その関連性に氣付けないから、追い詰めた側はさほど罪悪感も感じることは無いでしょうが、追い詰めなければ事故の被害者は生まれなかった訳です。
その様な事態が起きた時、「あなたの為を思って注意したのに、、」なんて言っても後の祭りです。
そういう後悔をしない為に、ある程度の、逃げ道を残すことが必要だということです。
それでも追い込む事をやめたくないなら、因果応報は受け入れること
他人が巻き込まれようが氣にしない人は、追い詰めれば良いと思いますよ。
徹底的に追い詰めることが楽しいのでしょうし、それがストレス解消に役立つのでしょう。
反論できない相手を正論で追い詰めるほど、楽しいことは無いでしょうしね。
ただ逆恨みで襲われる可能性も受け入れるべきでしょう。
無関係な他人が巻き込まれるのは良くて、自分が巻き込まれるのは嫌だなんて勝手な考えは駄目ですよ。
人によっては、正論を武器に、わざと相手を追い込み、犯罪行為に走らせて、塀の中に送る事を目論んでいる場合もあるかも知れません。
そういう人の場合は、無関係な人が巻き込まれて亡くなったところで氣にならないでしょうから、氣に病むことも無いでしょう。
それくらいの氣持ちが無いなら、追い詰めることは避けた方がいい。
当然、そういう人は因果応報は覚悟の上でしょうし。
感情的になっている時に理屈は通じない
繰り返しになりますが、人間は感情の生き物です。
感情が爆発しているときに、理屈は通用しません。
感情的にさせてしまっては、正論も相手に伝わらないのです。
例え正論であっても、相手を追い詰める様な物言いしかできないのであれば、それは相手と大差ないメンタリティと言えるかも知れませんね。
やり過ぎる人も感情的な人間
追い詰めるほどやり過ぎる人って、感情的な人なんですよね。
自分が正論であることを盾に人を追い詰めることで、発散をしているものなんです。
でも、そういう人は、自分を理性的な人間だと勘違いしているので厄介なんです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」と言います。
相手を窘めているつもりが、自分のストレス発散のサンドバッグに使っていないか、省みる必要はあると思います。
立場的に反論できない相手をネチネチやるのって、凄く性格悪いですよ。
窘めることが一切通用しない相手がいるのは確か
ただ、逃げ道を残して窘めても通じない相手も一定数いるのも確かです。
そんな相手を正論で追い詰めようとしようものなら、そのまま殺されたりすることもあるでしょう。
そういう相手に対しては、権力、暴力、呪力等による実力行使で、恐怖で支配する方向しかないかも知れません。
自分にその力が無ければ、国家権力を利用するなり、能力者に依頼するなりする事です。
どちらにしても、正論で追い詰めることは避けた方がベターであるという事には違いありません。